全国百選めぐり【山形市の風景】

到達記録(山形城)

 平成20年07月26日、平成24年09月14日、令和02年06月04日他、何度か訪問しました。

 山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にある城跡です。

 山形城は、南北朝時代に出羽斯波氏が築城をしたのが始まりとされています。出羽斯波氏は、後に最上氏と名を変えました。

 東北の梟雄である最上氏11代目当主・最上義光(もがみ よしあき)が関ヶ原の戦いで東軍に付き、山形藩の初代藩主になり、城郭を拡張し、東北一の城郭になりました。

 その後、鳥居氏、保科氏、松平氏、奥平氏など度々藩主が代わり、徐々に大藩から小藩へと移り変わって行きました。結果、山形城を維持することが出来ず、徐々に廃れていったとされています。

 現地では、三の丸跡地は既に市街化していますが、本丸跡地と二の丸跡地は、【霞城公園】(かじょうこうえん)として整備、復元、保存されています。本丸を囲う幅広の内堀があり、高低差のある石垣が見れます。

 日本の都市公園100選【霞城公園】の顕彰碑は、発見に至らず。かつて市民プール、サッカー場、野球場、テニスコート、野外音楽堂などが整備されていましたが、国の史跡【山形城跡】としての整備へ舵がきられ、徐々に撤去され史跡らしくなっています。その経緯の中で紛失したと考えられると担当者に確認しました。

 日本100名城【山形城】日本名城百選【山形城】日本の都市公園100選【霞城公園】

到達記録(山寺・立石寺)

 平成22年08月28日に訪問しました。

 山寺(やまでら)は、山形県山形市大字山寺4456-1にある天台宗の寺院です。

 正式名称は、宝珠山(ほうじゅさん)阿所川院(あそかわいん)立石寺(りっしゃくじ)と言います。国の史跡及び国の名勝【山寺】です。

 寺伝によると、貞観02年(西暦860年)に第56代天皇・清和天皇の勅命で慈覚大師・円仁(えんにん)が開山した古刹とされています。松尾芭蕉の「おくのほそ道」で「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と詠まれたことで知られており、現地には句碑があります。

 現地の階段は、1,100段あると言われていますが、平成22年08月28日訪問時、まだ20代だった私の体感では800段ほどの印象でした。登るにつれて自販機の値段が上がっていった記憶が残っています。

 セミの鳴き声が心地よく緑と歴史を楽しめる場所です。観光客も多い場所なので、シーズンを外してのんびり登ってみるのも楽しそうです。

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到達記録(遊学館)

 に訪問しました。

 遊学館(ゆうがくかん)は、山形県山形市緑町1丁目2-36にある文化施設です。

 遊学館には、平成02年(西暦1990年)07月に、知事公舎跡地に建てられた「山形県生涯学習センター」「山形県立図書館」「山形県男女共同参画センター」などの複合的な文化施設となります。公益財団法人・山形県生涯学習文化財団が運営しています。公共建築百選【遊学館】の顕彰碑はどこでしょうか。

 公共建築百選【遊学館】

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