全国百選めぐり【筑後川の風景】

到達記録(漁場境界標石柱)

 平成27年01月01日、平成30年06月03日他、何度か訪問しました。

 有明海佐賀福岡漁場境界標石柱は、佐賀県と福岡県の県境を流れる筑後川河口にある石碑です。

 元旦に訪問したわけですが、ぶっちゃけ寒すぎ。ロングコートを着ていましたが、余りの風の冷たさに手が悴み、満足に観測できませんでした。堤防の川沿いにあり目視できませんので、発見はちょっと難しいです。

 平成30年06月03日に再訪しました。この時期ならじっくり周辺を見渡せますが、風の強い場所ですね。石碑は鳥の糞爆撃を受けていました。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有明海佐賀福岡漁場境界標石柱】

到達記録(筑紫平野を走るクリーク網)

 に、訪問しました。

 筑紫平野(つくしへいや)のクリークとは?から調べましたが、網目状の人工水路を指します。

 筑紫平野は、福岡県と佐賀県に跨る九州最大の平野で、九州の米所として稲作が盛んな地域でしたが、水不足にも陥りやすくクリークが発達したと考えられています。クリークは、農業用水の確保のためだけでなく、洪水時には雨水を貯留して、河川への流出を抑えて氾濫を起こさない役割を担っていました。

 元々はシンプルに「堀」と呼ばれていたそうですが、昭和になってから「クリーク」と呼ぶようになったのだとか。

 人と自然が織りなす日本の風景百選【筑紫平野を走るクリーク網】

到達記録(筑後川昇開橋)

 令和05年12月28日に訪問しました。

 筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう)は、福岡県大川市と佐賀県佐賀市の間を流れる筑後川に架かる橋です。

 筑後川昇開橋は、昭和10年(西暦1935年)に、日本国有鉄道佐賀線の鉄道橋梁「筑後川橋梁(ちくごがわきょうりょう)」として架橋されました。

 昭和62年(西暦1987年)に佐賀線は廃止となりましたが、地元の要望もあり、橋は撤去されず、平成08年(西暦1996年)に遊歩道として復活しました。

 昇開橋稼動時間が設定されており、昇開しているタイミングでは、渡河できません。

 日本百名橋【筑後川昇開橋】

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