全国百選めぐり【長崎郊外の風景】
到達記録(長崎市) | |
長崎市の百選は、全国百選めぐり【長崎市の風景】と全国百選めぐり【長崎郊外の風景】の2つに別けてあります。 |
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到達記録(野母崎) | |
野母崎(のもざき)は、長崎県の長崎半島の南端を指します。自治体としての野母崎町は、平成17年(西暦2005年)01月04日付で、高島町(たかしまちょう)、香焼町、伊王島町、三和町、外海町と共に長崎市に吸収合併されました。 |
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到達記録(水仙の里) | |
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平成26年12月31日、令和05年12月30日他、何度か訪問しました。 野母崎水仙の里公園は、長崎県長崎市野母町562-1にある公園です。 野母崎水仙の里公園は、展望所を兼ねた3つの小山に約1,000万球の水仙を植裁している公園です。現在は「水仙の丘公園」と公園名称が変更されている様子ですが、現地にあるかおり風景100選の案内は、「水仙の里」のままでした。 軍艦島を横目に長崎県を南下すれば案内標識に出会います。 水仙は一面に広がっていますが、ターゲットのシーズンが冬の上に、半島の海岸線になるので海からの風は強いです。寒く感じるかもしれません。また近くのグランドからの砂埃には注意が必要です。 令和05年12月30日に再訪した際は、整備が進んでおり、恐竜博物館が併設されていました。 かおり風景100選【野母崎水仙の里公園と潮】。 |
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到達記録(大中尾の棚田) | |
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令和05年12月29日他、何度か訪問しました。 大中尾(おおなかお)の棚田は、長崎県長崎市神浦下大中尾町にある棚田です。 大中尾の棚田は、山の斜面に約450枚の水田が段々に並んでいます。江戸時代中期頃とされており、大村藩が主体となって開田したそう。約4q上流の神浦川(こうのうらがわ)から引いた「大井手水路」を水源としています。 平均勾配1/6の広範囲に及ぶ石垣棚田は一見の価値あり。現地案内や駐車場、展望ポイントも良好です。 日本の棚田百選【大中尾の棚田】。 |
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到達記録(高浜海水浴場) | |
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令和05年12月30日他、何度か訪問しました。 高浜海水浴場(たかはまかいすいよくじょう)は、長崎県長崎市高浜町にある海水浴場です。 高浜海水浴場からは、軍艦島で知られる端島(はしま)が丁度軍艦に見えるサイズ感で見れます。 日本の渚100選【高浜海水浴場】。 |
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到達記録(軍艦島) | |
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平成23年02月23日に訪問しました。 軍艦島(ぐんかんじま)の正式名称は、端島(はしま)といいます。端島は、長崎県長崎市に属していて五島灘に浮かぶ島です。 大正05年(西暦1916年)、日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅30号棟が建設されるなど、かつて世界一の人口密度を誇った海底炭鉱の島です。 昭和49年(西暦1974年)01月15日に炭鉱は閉鎖され、無人島になりました。現地クルーズの案内人を勤められている元島民の方のお話によると、黒字閉鎖だった為、満額の退職金が出たそうです。また重労働ではあったが、炭鉱夫の給与は破格の好待遇であったそうで、韓国政府による歴史の真実を歪めるような発信があることを嘆かれていました。元島民の声が聴けて良かったです。 かつては「30年後の近未来」と言われたこの島の今の廃墟を思えば、私たちの住む街の「30年後の近未来」は?色々考えさせられる風景でした。平成27年、世界文化遺産【明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業】に登録されました。 名もなき旅人の百選【30年後の近未来・軍艦島】。 |
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