474.日本7周目その68:知念城と具志川城


 平成30年06月08日10時すぎからスタートです。


 昭和の名水百選【垣花樋川】の再訪です。

 案内板から石畳の坂を下っていきます。


 昭和の名水百選【垣花樋川】です。

 垣花樋川(かきのはなひーじゃー)は、沖縄県南城市(なんじょうし)玉城にある湧水です。


 垣花樋川は集落の坂下にあり、駐車スペースから100mほど石畳の道を下らないといけません。

 名水百選の中でも特に美しい情景で地元民に愛されている様子が窺えます。


 向って右手側が男川(いきががー)、上流の左側に位置する水路を女川(いなぐがー)と名付けられているそうで、ため池は馬浴(うまあみしー)と名付けられており、馬の水場として使われていたことが窺えます。

 前回訪問時は、雨天でしたので水量はありましたが、本日の方が清涼感を感じました。


 知念城(ちねんじょう/ちねんぐすく)を訪ねます。

 知念城は、沖縄県南城市知念にある城跡です。


 知念城は、沖縄県に残るグスク群の中でも特に古い城跡とされており、現地は復元作業中といった状態でした。

 知念城は、古城(クーグスク)と新城(ミーグスク)と呼ばれる2つの曲輪で構成されています。アーチ門があるのは新城の方で、古城は樹木で覆われています。


 新城内からの一枚です。


 知念城は、山城タイプのグスクで断崖を囲うように城跡がめぐらされています。


 うっそうと樹木が生い茂っていますが、城壁の外は崖でした。

 海岸からの風の影響でしょうか、樹木が城内に向かって傾いています。

 崖沿いに造られた要害であることが良く分かります。これは攻めにくい城です。


 雲が増えて来ましたが、ロケーションは素晴らしいです。


 復元保存が進めば歩ける場所も増えるかもしれませんね。

 崖側の石垣は大して高くはありませんが、アーチ門側の石垣がかなりの高さとなっています。


 カジュマルの大木がありました。


 ノロ屋敷跡です。

 ノロとは、沖縄における女性祭司のことです。


 具志川城(ぐしかわぐすく/ぐしかわじょう)を訪ねます。

 具志川城は、沖縄県糸満市喜屋武具志川原にある城跡です。沖縄本島の最南端に程近い場所の海岸沿いにありました。

 駐車場から最初に出会う石垣です。城門跡のようです。


 城門を超えると二の曲輪です。こちらは井戸跡と思いますが「火吹き穴」です。

 火吹き穴は、石灰岩の自然の空洞で海に通じており、かつては荷物の上げ下ろしや非常時の避難路として使われたと伝わる穴です。


 具志川城は、真金声(まかねくい)按司(あじ/本土で表現するとのことの王子や皇太子の意味)が築城したとも言われていますが、正確なことはわかっていないのだとか。

 ここも見事な石垣が連なっています。沖縄の城跡はいずれも素晴らしいですね。


 この断崖絶壁は攻めれないな…。

 具志川城は、一の曲輪と二の曲輪で構成されており、海岸側の一の曲輪が主郭部と思われます。


 石垣は野面積みに見えます。


 眼下の岩も珊瑚から出来た石灰岩のようなので、これで石垣を造ったんでしょうね。


 一の曲輪からの展望です。

 この具志川城は観光客もチラホラ程度なので、のんびり出来ます。


 私自身が観光客でありながら勝手な話ですが、やはり観光地は流行りすぎず、寂れすぎず、のんびり巡れる場所が良いです。


 ん?!洞窟だ。

 洞窟が気になって降り口を捜しましたが、「降りちゃダメ」と分かりやすく看板が設置されていました。


 この辺りは沖縄防衛戦で日本軍が追い詰められた場所の一つのはずなので、防空壕跡地だったのかもしれませんね。バンザイクリフもこの付近のはずです。


 そう思うとこの美しい景色も悲しい景色に見えてしまいますね。


 沖縄を守るために戦った勇敢な日本兵とそれを支えた沖縄県民に安らぎを。

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