473.日本7周目その67:糸数城と玉城城


 平成30年06月08日午前09時からです。

 まさかのホテルテキサスで寝坊です。

 渡名喜島(となきじま)に行く予定が崩れました。日程的にここしかなかったのに!渡名喜島は、毎週金曜日のみ2便体制で日帰り観光が可能です。


 気を取り戻して第二プランである城郭めぐりを行ないます。

 まずは糸数城(いとかずぐすく/いとかずじょう)です。

 糸数城は、沖縄県南城市玉城糸数133にある城跡です。


 現地では城跡すぐの駐車スペースまで車で到達可能ですが、観光地としての整備はされておらず、歩きやすい靴の方が良いでしょう。


 糸数城は、標高180mの丘陵地に築かれており、横長な石垣が連なっており、主郭を守る形になっています。


 琉球石灰岩を使った石垣が連なっています。


 観光用の順路板や案内板などはありませんでしたので、心引かれるまま探索します。


 糸数城は、14世紀初め頃に玉城城(たまぐすくぐすく/たまぐすくじょう)の城主・玉城按司(あじ/本土で表現するとのことの王子や皇太子の意味)の3男を派遣して玉城城の支城として築城させたと考えられています。


 足元にも沢山の石垣の残骸が転がっています。

 調べてみるとこちらが南虎口跡とされています。


 櫓台に見える突出部です。「南のアザナ」とされています。

 南のアザナって何だろうっと調べると、南がの物見台(アザナ)でした。


 壮大な城壁に心を奪われます。


 沖縄の城郭は登ると海が見えるのが良いですね。


 ぐるっと一周する石垣は残っておらず、曲線にクネクネしながらも一直線の防波堤のような石垣です。


 観光バスなども来ないので、観光客は少ないと思います。当日も私だけで自然の音だけが届く素晴らしい空間です。


 正門跡とされています。

 石垣の門は、切石での布積みで作られています。


 ここまで戻ってきて、足元に石垣の上登るなと書いてある案内板を発見しました。

 後の祭りではないか。案内板、小さかったです。

 一通り見て回れて大満足な城跡でした。


 続いて玉城城です。

 玉城城は、沖縄県南城市玉城門原にある城跡です。


 標高約180mの丘陵に築かれた城跡で国の史跡【玉城城跡】に指定されています。


 主郭部と思しき曲輪が一つだけあり、それを取り囲むように石垣が設けられている構造に見えます。

 調べてみると、かつては二の曲輪、三の曲輪があったようですが、米軍の占領統治時代に、米軍施設の建築資材として徴収されたそう。そのため、遺構としては主郭部しか残っていないのだとか。


 岩をくり貫いたアーチ門です。


 雨粒天次(あまつづてんつづの)御嶽(うたき)があります。

 玉城城は、琉球開闢の神・アマミキヨが築き、その子孫の天孫氏が城主であったとされる神話が残っています。

 こちらの御嶽は、干ばつの年には琉球国王自ら出向いて雨乞いの儀式を行った聖地とされています。


 あー天気の良い日の沖縄の海って本当綺麗です。

 この城跡も素晴らしいロケーションです。


 城内の石類は大分崩壊していますが、先々復元保存する予定なのでしょうか。


 防衛側が石垣の上から矢を射れるような構造の石垣です。


 このアーチ門、ハート型に見えなくもないですね。将来的に恋人の聖地の認定を受けるかも。

 風の通り道になっており、気持ち良い風が通り抜けていきます。


 アーチ門から城下を眺めると、歩道を歩いていた小学生たちが手を振ってくれました。

 おぢさんも振り返してあげました。清々しい気分だ。

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