471.日本7周目その65:普天間宮と首里城


 平成30年06月07日10時からスタートです。


 海中道路で一服です。

 海中道路は、沖縄県うるま市にある勝連半島と平安座島(へんざじま)を結ぶ5.2kmの道路です。

 昭和47年(西暦1972年)に2車線の道路として開通しました。工事をしたのは、アメリカの石油会社であるガルフ石油です。平安座島に石油備蓄基地を整備する見返りとされています。


 平成の名水百選【荻道大城湧水群】を巡りをします。

 荻道大城湧水群(おぎどうおおぐすくゆうすいぐん)は、沖縄県北中城村に点在する湧水群です。


 チブガーは、大城集落で最も古い共同井泉と言い伝えられています。

 現地の案内パネルでは、正確な築造年代は明らかになっていないと書いてありました。

 写真を見て頂いて分かるとおり、現在は、飲料に適した状態とは言えません。草刈りしたばっかりなんだろうけど。


 イリヌカー(大城)は、大城集落の西側の水場です。

 「イリ」が「西」という意味です。現地では、古い石垣に囲まれています。

 ゴミ除け用にコンクリートで造られた屋根が付いていますが、これは大正10年(西暦1921年)に造られたものだとか。


 イリヌカー(荻堂)は、荻堂集落の西側の水場です。

 防護網が張られており、中には水が溜まっていました。住宅街の中にあり、観光客もおらず静かな場所でした。


 アガリヌカーは、大城集落の東側の水場です。

 「アガリ」が「東」という意味です。

 若い方を中心に、言語では減ってきましたが、地名ではしっかり残っていますね。


 湧水群の中では一番大きく、水場というより蓮の咲く池が整備された小さな公園になっていました。

 チブガー、イリヌカー(大城)、イリヌカー(荻堂)、アガリヌカーの4つのポイントを巡れたので、満足しました。北中城村の案内図だと10ほど湧水があるようです。


 普天満宮(ふてんまぐう)を参拝します。

 普天満宮は、沖縄県宜野湾市普天間1-27-10にある神社です。

 主祭神は、熊野権現と琉球古神道神です。


 シーサー風の狛犬さんです。


 普天満宮は、拝殿の裏手に、信仰の発祥とされる鍾乳洞の「普天満宮洞穴」があり、その中に奥宮が祀られています。

 この洞窟は、琉球古神道の神々が祀られていたとされる神聖な場所です。


 ご朱印を頂きます。


 沖縄自動車道に乗って「中城PA(上り)」に立ち寄ります。


 味千ラーメンさんで昼食にします。

 チャーシューメン820円です。後で知りましたが、沖縄ではなく熊本から出店されているお店なのだとか。

 日本の出店数の10倍以上、海外に出店しているので海外の方が有名なラーメン屋さんかも。ご馳走様です。


 日本100名城【首里城】の守礼門に到着です。

 首里城(しゅりじょう/スイグシク)は、沖縄県那覇市にある城跡です。

 守礼門の扁額には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。


 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。

 琉球石灰岩で造られており、琉球国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所です。


 第一の門、歓会門(かんかいもん)です。

 かつて琉球が中国に冊封していた時代に、中国からの使者である冊封使(さくほうし/さっぽうし)を喜んで迎えるという意味合いです。

 曲線の石垣が良いですね。本土の城郭で言えば、大手門にあたる場所と思います。


 第二の門、瑞泉門(ずいせんもん)を経て第三の門、漏刻門(ろうこくもん)です。

 現地では、門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったと解説がありました。

 かつての琉球王朝の貴族もこの門からは籠から降りて、自分の足で歩いたと言われています。本土では「下馬」と書かれている場所でしょうか。


 第四の門、広福門(こうふくもん)です。

 広福門は、明治時代の末頃に小学校建設のため、取り壊されており、現在の広福門は、平成04年(西暦1992年)に木造で外観復元された建物です。


 首里森(すいむい)御嶽(うたき)です。

 首里森御嶽は、琉球開闢(かいびゃく)の神「アマミキヨ」によって創られた聖地の一つとされています。城内に御嶽があるのは勝連城と同様ですね。


 第五の門、奉神門(ほうしんもん)です。

 ここから有料ゾーンです。入館料820円とちょっとお高い感じです。まぁ沖縄に来たら入るやろ的な強気な気配がそこはかとなく感じます。


 首里城正殿の外観です。現在、修復中でした。本土における天守にあたります。

 首里城はかつて、約450年間存続した琉球王国の首都でした。ただし、慶長14年(西暦1609年)の薩摩藩の琉球侵攻以降は、事実上、日本の保護国ではありました。


 首里城正殿は撮影禁止の箇所が多いですが、琉球王の玉座は、撮影出来るフロアです。

 中山世土(ちゅうざんせいど)との扁額が目に入りますが、これは中国皇帝から贈られた御書の再現とのことです。


 首里城はかつての貿易拠点である那覇港を見下ろす丘陵地に位置しており、琉球石灰岩の石垣に守られた城郭です。

 昭和20年(西暦1945年)の沖縄戦や戦後の琉球大学設置により遺構は殆どありません。復元御殿の地下にかつての石垣が残っており、ガラス面で見ることが出来ました。


 ご当地コーラで一服です。

 記念メダルは茶平工業さんのいつもの青い販売機ではなく、ケース売りでした。

 ケースに入っていると、それだけで高くなっちゃうので、私はメダル機で販売をお願いしたいです。


 淑順門(しゅくじゅんもん)です。本土における大奥的なフロアです。


 石垣を眺めながら駐車場に戻ります。

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