470.日本7周目その64:座喜味城と勝連城
平成30年06月07日07時からスタートです。 |
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ホテルをチェックアウトして北上します。 新・日本街路樹100景【ヤシ並木】です。 ヤシ並木は、沖縄県中頭郡(なかがみぐん)嘉手納町付近における国道58号線沿いに連なってあります。 |
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嘉手納町には在日米軍の嘉手納基地があり、その基地に沿って国道58号が走っています。新・日本街路樹100景【ヤシ並木】の該当範囲は殆ど2車線から3車線の快走路となります。 ヤシの木は南国風の印象が強いので沖縄には似合うと思いますが、台風が多い沖縄だと倒木が多そうです。 |
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道の駅「喜名番所」に立ち寄りますがオープン前です。 |
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続・日本100名城【座喜味城】を探索します。 座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄県中頭郡(なかがみぐん)読谷村(よみたんそん)にある城跡です。 座喜味城の駐車場が狭かったです。世界文化遺産【琉球王国のグスク及び関連遺産群】の構成資産の一つなのにキャパシティ足りてないんじゃないだろうか。 若しかしたら、私が気づかなかっただけで他にも大きな駐車場があるのかも知れませんが。 |
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座喜味城は、琉球随一の築城の達人とされる護佐丸(ごさまる)による築城とされています。 沖縄の米軍占領時代には、米軍のレーダーが設置されていましたが、現在は復元され、美しい石垣美が見れます。 座喜味城は、「一の郭」と「二の郭」で構成されており、写真は「二の郭」の石造アーチ門です。こちらのアーチ門はかなり現存に近い形なのだとか。 |
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「二の郭」から「一の郭」に入る石造アーチ門です。こちらは復元されています。 早朝の為、私以外は中国人の新婚さんらしきグループが1組だけでした。 |
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実に立派な石垣です。布積みによる石垣に見えます。 現存部分もあるのでしょうが、大東亜戦争末期の沖縄決戦では、日本軍の基地が置かれたり、戦後のアメリカ占領時代は米軍のレイダーが設置されていたとかで、かなりの損耗があったようです。 沖縄県が主権回復後、復元され、今の美しい姿を取り戻しました。 |
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「一の郭」が主郭となる構成で、真ん中に建物跡が残っています。 石垣の上も一部ですが歩けるようになっていました。警備兵の気分だね。 |
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流線型の石垣がいかにも琉球スタイルですね。 本土の城郭とは違う美しさがあります。 |
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ここからは先は入らないよう案内があったのでアーチ門の上まではいけないです。 |
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中国人グループがずっとワーワー言うてますが、幸せそうなので大目に見てあげましょう。 |
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一の郭にある建物跡です。 発掘調査では、基礎石だけ発見されて屋根瓦が発見されていないことから、茅葺屋根か板葺屋根の建物だったと考えられます。 早朝から大変満足の行く城跡でした。 |
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読谷村立歴史民俗資料館で、続・日本100名城【座喜味城】のスタンプ回収です。 読谷村立歴史民俗資料館は、沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708にある村立の資料館です。昭和50年(西暦1975年)に開業されました。 |
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現地には、茅葺の高倉があります。 沖縄式の高倉ですが、2日前に見た奄美型高倉との違いがわからないです。 |
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勝連城跡休憩所に移動して、続・日本100名城【勝連城】のスタンプ回収です。 勝連城跡休憩所は、沖縄県うるま市勝連南風原3908にある休憩施設で、売店やトイレ、簡易な案内所を兼ねています。 |
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続・日本100名城【勝連城】に登ります。 勝連城(かつれんぐすく)は、沖縄県うるま市にある城跡です。前回の日本100名城に選ばれなかったのが不思議なくらい美しい山城です。 |
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景色は美しいけど、6月の沖縄は本土の人間には既に夏です。汗が流れてきます。 |
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勝連城は、15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利(あまわり)が居城した城郭です。 勢力を増す阿麻和利を恐れた、琉球王朝6代目・尚泰久王(しょうたいきゅうおう)の前に破れ、勝連城は廃城となったのだとか。 |
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三の曲輪です。 石垣の上を歩いてみたい所ですが、禁止されていました。 ちなみにですが、座喜味城では「郭」と案内に明記されていたので郭としていましたが、曲輪と同じ意味合いで使っています。 |
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二の曲輪のウミチムン(火の神/ひぬかん)です。 ウミチムンとは、「三個のかまど石」を意味する言葉だと解説がありました。 |
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舎殿の跡地です。 遺構を見ると、かなり大規模な建築物だったようと思われます。城主屋敷って理解をしました。 |
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二の曲輪から三の曲輪を見ています。 琉球石灰岩による石垣によって曲輪がしっかり守られています。 |
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こちらは二の曲輪から一の曲輪(一番上の曲輪)を眺めた一枚です。 見事な高石垣で、防御力の高さを感じさせますが、実戦でここまで追い詰められたら、もう助からない状況です。 |
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ここが一の曲輪です。 主郭とされる曲輪で、最終防衛ラインとなる曲輪です。 |
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天気に恵まれましたので、ロケーションも素晴らしいです。 勝連城は、勝連半島の南の付け根部にある小高い丘陵に位置しており、一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪と3つの曲輪が階段状に広がっています。 |
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一の曲輪の中心にある「玉ノミウヂ御嶽(うたき)」です。この石灰岩らしき岩がご神体のようです。座って休憩しちゃいそうな岩です。 岩の手前に大きな穴が開いていますが、かつてはここから二の曲輪にあるウシヌジガマと繋がっていて、有事の際の脱出路とされたと案内がありました。 一の曲輪が包囲されてる時って、二の曲輪には、敵が充満しているんじゃないかな…。 |
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肝高の御嶽(きむたかのうたき)です。 ここは神人(かみんちゅ)と呼ばれる女性祭司を中心に行なわれる行事「ウマチー」の場所で、並んでいる石は、神人が腰掛けた場所だと案内がありました。 この並んでいる石を「トゥヌムゥトゥ」や「トゥヌムトゥ」と呼ぶのだそうですが、とても発音が難しいですね。 |
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