436.日本7周目その31:保戸島に上陸!【後編】


 平成30年05月24日の午後からです。


 猫ちゃんの多いエリアに遭遇しました。これは猫島だね。


 人馴れしている猫ちゃんも多く、警戒しながらも逃げない猫ちゃんが多いです。


 睨まれちゃった。


 ちょっと油断しすぎやないか?

 おぢさんも君のように寝て過ごしたいな。


 ベンチも猫ちゃんに占領されていました。

 下の子は妊婦さんかな?


 ここの島の人たちは、近くを通ると、自分のしている動きを自分で解説されます。ちょっと不思議な光景です。


 先端に近づいて来ました。雲の流れが速いです。

 こちらでも天草の乾燥作業中でした。


 島の先端にある高台にあるお堂です。


 中島の観音様と不動明王が鎮座しています。


 九州本土がすぐ傍にあることがわかります。

 100mの橋をかけるだけで離島から脱却して便利になるのに、島民の意思として離島であることを望んでいるんでしょうか。


 保戸島小学校です。


 卒業生の記念が残された防波堤です。


 防波堤を超えてすぐ海ということは、夏のプールの授業はここでしているのかな。


 そのまま歩いていると廃墟と出会います。

 島外から来た先生の下宿場だったのかなぁ。


 井戸跡です。


 そのまま島の中央に向かって歩いていきます。


 この島では、1人1台のマイリアカーがあるのだとか。


 ?!


 大量の猫ちゃんが密集しています。恐らくここが餌場なのでしょう。近づいても逃げる気配すらありません。


 保戸島の中心部分に戻ってきました。


 お寺と出会います。

 海徳寺は、大分県津久見市字保戸島1465にある浄土宗の寺院です。

 海徳寺は、慶長10年(西暦1605年)、佐伯藩・初代藩主毛利高政(もうり たかまさ)の命により建立されたと伝わります。


 2つ目のお寺と出会います。

 法照寺は、大分県津久見市大字保戸島1179にある浄土真宗の寺院です。

 法照寺は、慶長02年(西暦1597年)と天正16年(西暦1588年)の2つの建立の記録があるようですが、江戸時代に火災で焼失しているので、詳細不明なのだとか。


 今度は島の北側を探索します。


 こちらの方が比較的新しい地区なのか、整然と3階建てのマンション風住宅が並んでいます。


 手前は井戸跡です。

 奥にあるのは防空壕跡のようですね。


 入ってみる勇気は湧かないですが、防空壕跡で間違いなさそう。

 ちなみにここ保戸島は、大東亜戦争末期、米軍艦載機グラマンの攻撃を受けており、授業中だった国民学校の児童が多数死傷しています。


 山沿いのフェンスに沿って登れるので登ってみます。

 小さな祠がありました。


 小さな祠は、えびす堂のようですね。恵比寿さんが安置されていました。


 船の時間が来たので戻ります。

 保戸島は、期待値以上に楽しかった離島探索でした。

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