434.日本7周目その29:佐伯城を登ろう!
平成30年05月24日です。 |
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コンビニで朝御飯を購入して、続・日本100名城【佐伯城】の攻城に向かいます。 佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にある城跡です。ついつい「さえき」と読んじゃいます。 佐伯城の三の丸御殿跡地にある佐伯市立佐伯文化会館の駐車場に車を停めて攻城開始です。 |
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25分ほどかけて標高144mの八幡山を登りました。 勿論、地元民の方々に抜かされながらゆっくりと登りました。ゼハーゼハー。健脚な人なら15分くらいで登城出来そうです。 朝日が眩しい!東には海が見える立地で、南側には河川が流れています。この河川は、番匠川(ばんじょうがわ)と呼ばれる一級河川で九州屈指の清流なのだとか。 |
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佐伯城は、毛利高政(もうり たかまさ)が慶長07年(西暦1602年)から4〜6年かけて築城した大規模な山城です。 山城でありながら、総石垣造で、復元・保存の状態も良かったです。 |
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本丸跡地です。 |
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南側の展望です。 番匠川を外堀に見立てて居たのでしょうか。 |
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ぐるっと見て回ります。 |
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二の丸跡地に到着です。 |
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こちらは西の丸跡地です。 |
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井戸跡です。 |
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佐伯城は、完成して間もなく、元和03年(西暦1617年)に失火があり、天守や本丸、二の丸を焼失したそう。 寛永14年(西暦1637年)に3代藩主・毛利高尚(もうり たかなお)の時代に三の丸を山麓に増築し、三の丸に居館が移されました。 |
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本丸と二の丸を繋ぐ木橋です |
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山城でありながらしっかり残っている山頂主郭部の石垣を堪能して1時間ほどの滞在になりました。 |
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続・日本100名城【佐伯城】のスタンプ押印時間まで時間を潰す為、周辺を探索します。 |
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日本の道100選【佐伯市道山際線】です。 佐伯市道山際線(さいきしどうやまぎわせん)は、大分県佐伯市にある市道です。 |
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現地は、佐伯城の城下町として、武家屋敷の町並みが残っています。 武家屋敷の真ん中を走る500mの道は「歴史と文学のみち」と呼ばれており、石畳みで整備されており、電線の地中化と併せて、城下町の雰囲気があります。 |
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佐伯城の三の丸にある櫓門です。 こちらの櫓門は現存です。周辺の石垣も現存と案内されています。三の丸が拡張された際に整備されたと伝わり、佐伯城の正門(大手門)として扱われています。 |
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「歴史と文学のみち」は、武家屋敷や寺院が並んでいますが、重伝建には選ばれていません。 選ばれていそうで選ばれていない集落となり、将来追加されても良いようにしっかり写真を残しておきます。 |
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日本の道100選【佐伯市道山際線】の顕彰碑は、佐伯城跡の登城口の手前にあります。 |
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今日は天気にも恵まれていますね。 |
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目の前の山が先程攻城していた佐伯城跡のある八幡山です。 |
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こちらは佐伯市歴史資料館です。 佐伯市歴史資料館は、大分県佐伯市大手町1丁目2-25にある資料館です。 |
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この資料館があった場所は、江戸時代には佐伯藩の役所として、明治時代には旧藩主毛利家の屋敷として利用されていたのだとか。 こちらで続・日本100名城【佐伯城】のスタンプを押印です。 |
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このこんもりしているのは大東亜戦争時代に造られた防空壕です。 |
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