425.日本7周目その20:一宮城跡を登ろう!


 平成30年05月19日の午後からスタートです。


 勝瑞(しょうずい)SSを訪ねます。

 土日限定でこちらのガソリンスタンドに、続・日本100名城【勝瑞城】のスタンプが置かれています。


 続・日本100名城【勝瑞城】を訪ねます。

 勝瑞城(しょうずいじょう)は、徳島県l板野郡(いたのぐん)藍住町勝瑞にある城跡です。


 勝瑞城は、城跡と館跡の2つ史跡で構成されています。こちらは城跡とされています。

 勝瑞城は、阿波国守護・細川氏の居城として守護所が置かれていたとされます。

 後に細川氏から実権を奪った三好氏の居城となり、土佐国の長宗我部氏に対抗するため、守護所の近くに勝瑞城を築城したものの、長宗我部氏の前に落城、廃城となったと考えられています。


 現地では臨済宗妙心寺派の寺院・見性寺(けんしょうじ)の敷地になっており、伝承によると、永正年間(西暦1504〜1521年)に現在地に移転してきたのだそう。


 こちらが本丸跡地とされており、周囲を囲むように水堀が残っています。

 土塁も残っているそうですが、大規模なものではなく、これかな?位のサイズ感のものしか出会えませんでした。国の史跡【勝瑞城跡】です。


 5つの古い墓石があり、三好之長や三好元長、三好実休、三好長治など三好一族のお墓が建立されていました。

 どうやら見性寺は三好氏の菩提寺のようです。


 新しい墓石にも三好家と書かれています。

 石が新しいので、三好家の子孫のお墓でしょうか。


 勝瑞城館跡は、徳島県l板野郡藍住町勝瑞にある城館跡です。

 勝瑞城本丸跡から南へ150mの地点に、勝瑞城館跡があり、現地では発掘調査中となっていました。

 現地に居たスタッフの方から声をかけられ、資料を頂けました。


 発掘調査の結果、この居館の構造、出土遺物の質、量から三好実休(みよし じっきゅう)の居館跡と推定されています。

 三好実休は、三好長慶(みよし ながよし)の弟で、兄の畿内平定を助けた良い弟でしたが、実休が戦死してから三好家は凋落を始めています。

 平成17年(西暦2005年)の発掘調査で「つ」型の池跡が発見されました。


 案内看板があるだけで、まだまだ発掘調査中の状態でした。

 鎌倉時代から室町時代にかけて細川氏や三好氏の拠点として隆盛を誇った城下町だったと言われていますが、その面影は現状ではイメージしづらいかも。

 これからも発掘調査が進むにつれ、より正確な歴史情報が出てくるのを期待したいと思います。国の史跡【勝瑞城館跡】です。


 続・日本100名城【一宮城】の攻城口に到着です。

 一宮城(いちのみやじょう)は、徳島県徳島市一宮町にある城跡です。


 一宮城の攻城口には、以前参拝した四国八十八ヶ所霊場13番札所【大日寺】や阿波国一宮【一宮神社】が麓にある城跡です。

 続・日本100名城【一宮城】のスタンプはここの案内板の近くに設置してあります。


 登る前に一宮神社に参拝します。

 一宮神社は、徳島県徳島市一宮町西丁237にある神社です。

 一宮神社は、一宮神社の創建は平安時代後期に遡るとされており、神山町の上一宮大粟神社の分社として、国府に近いこの地に「下一宮」として祀られたのが始まりと伝えられています。


 一宮城は、南北朝時代に阿波国守護・小笠原長宗(おがさわら ながむね)が築城したのが始まりとされています。

 豊臣秀吉の時代になると蜂須賀家政(はちすか いえまさ)が阿波国を領有して一宮城に入城しますが、新たに【徳島城】を築いて移ったため、一宮城は徳島城の支城となり、江戸時代に入ると一国一城令で廃城となりました。


 虎口です。案内がしっかりある系の城跡です。

 山城ですがしっかり遊歩道が整備されているので登りやすいです。


 才蔵丸跡地です。

 攻城口にある案内板によると本丸を入れて主要曲輪は6ヵ所ありましたのでその一つです。


 才蔵丸跡地からの展望です。

 また各ポイントで伐採されており、ロケーションが開けている点も好感触です。


 本丸跡地に到着です。石垣には阿波青石が使われており、雨で濡れると青く見えるのだとか。


 ブルーシートが広がっていてロープが張られているので、発掘調査中なのか復元工事中なのかはわかりませんが、一部入れない空間があります。

 探索には問題ない範囲なので(登りで疲れちゃったので休憩しつつ)じっくり見て回ります。


 本丸跡地には小さな社が鎮座していました。

 お社さんの下にある石積みって、石垣で使われていると同じ阿波青石に見えます。


 本丸を守るように帯曲輪が広がっているので、ぐるっと周りながら写真撮影です。


 本丸跡からの展望です。

 眼下に鮎喰川(あくいがわ)が流れ、背中は険峻な山が守っている、そんな山城です。


 ここの石垣はホント良いなぁ〜。

 阿波青石の特徴は見たいと思いますが、雨天の山登りは無理だしなぁ。


 登ったルートとは違うルートで下山していきます。


 こちらは陰滝と呼ばれる滝です。

 かつて一宮城の水源とされた場所だとか。こちらは鎖場になっていました。


 誰や、こんな所に自転車を乗り捨てたのは。

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