417.日本7周目その12:飯盛山城を登ろう!
平成30年05月17日です。 日帰り攻城、二泊三日とリハビリをしてきましたので、いよいよ本格的に遠征に出ます。 |
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笠木町にある木津川河川敷で部下とバーベキューです。 有給消化期間に突入していますが、社席は残っているので社用携帯も持ったままの旅路です。引継ぎはもう終わったんやけどなぁ。 |
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なかなか成績の上がらなかった困った部下たちですが、これからも頑張って下さいね。短い間でしたがありがとう。 次に会う時は、ライバル業者として会う事になるかもしれないね。宅建くらい取りなよ。部下と別れ、大阪へ向かいます。 |
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大東市立野外活動センターを訪ねます。 大東市立野外活動センターで続100名城【飯盛山城】のスタンプを回収です。 |
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大東市立野外活動センターで案内を受けたとおり、細い林道を抜けて楠公寺(なんこうじ)に到着です。 楠公寺は、大阪府大東市大字北條2377-11にある日蓮宗の寺院です。こちらに車を停めることが出来ます。 |
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しばらく歩くと、石垣と出会います。 |
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飯盛城(いいもりじょう)は、大阪府大東市及び四條畷市にある城跡です。 飯盛城は、戦国時代、畠山義堯(はたけやま よしたか)が家臣・木沢長政(きざわ ながまさ)に築城させたのが始まりとされています。 銅像は楠木正行(くすのき まさつら/楠木正成の息子)です。南北朝時代、四条畷の戦いで自害しています。 |
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マップを見ているとかなり広大な山城であったことがわかります。 三好長慶(みよし ながよし)が大規模な修繕を行い現在の規模となったと考えられています。 大和国(奈良)と河内国(大阪)を南北に隔てる生駒山脈の流れにある山城で、飯盛山城とも呼ばれています。 |
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ロケーションは…黄砂が待っているのか霞んでいます。 本来ならば大和国と河内国の国境にありますので、大阪平野が一望できる立地です。 |
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周辺を探索しながら戻ります。 飯盛城は、石垣を用いた城郭の先駆けとされ、南北に長い城跡となっているので攻城口は、多数あります。 |
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所々に石垣が残っており、楽しませてくれます。 |
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その後、南下して道の駅「とっとパーク小島」で車中泊です。 |
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