416.日本7周目その11:津城跡を散歩しよう!


 平成30年05月16日です。


 続・日本100名城【津城】を訪ねます。

 津城(つじょう)は、三重県津市丸之内にある城跡です。写真は、昭和33年(西暦1958年)に地元民の寄付によって再現されたRC造りの三重櫓です。

 津城は、戦国時代に織田信長の弟・織田信包が安濃津城(あのつじょう)を大規模拡張したのが始まりとされています。

 藤堂高虎の銅像です。

 関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎が城主となり、明治維新まで藤堂氏の居城となりました。

 天守は関ヶ原の戦いで焼失し、再建されたものの寛文02年(西暦1662年)の火災で焼失したと言われています。


 現在は「お城公園」として整備されており、近隣にコインパーキングも整備されており、訪問しやすい城跡となっています。


 石垣を覆う緑が美しいですね。


 石垣がしっかり残っていて見応えがあります。


 現存石垣のようで所々、崩壊の危険があるようですね。


 高山神社(こうざんじんじゃ)の社務所に続・日本100名城【津城】のスタンプが置いてあります。

 高山神社は三重県津市丸之内27-16にある神社です。知らずに「たかやま」と読んでいました。

 高山神社は、明治09年(西暦1876年)の創建と新しく、明治36年(西暦1903年)に本丸跡に移転しています。昭和20年(西暦1945年)に空襲で焼失しており、再建されるも昭和44年(西暦1969年)に公園整備のため、現在の内堀埋立地に引越しています。

 主祭神の藤堂高虎は、主君を7回変えており、戦場も知行地も転々としながら、その度に期待以上の働きをして出世した武将です。主祭神がそんなだからか高山神社も転々とする運命だったのでしょうか。


 本丸跡は水堀に囲まれていたと認識できる程度に残っており、石垣も高いです。流石は藤堂高虎の居城です。


 石垣の上を歩けるのも良いですね。


 道の駅「津かわげ」に立ち寄り少し早めですが昼食です。


 味噌カツ定食を頂きます。850円でした。ご馳走様です。

 また昼時ですが、紀伊半島でしたかったことは完了したので、一旦帰宅します。


 今回の旅路で回収したご当地サイダーです。

 2泊3日、走行1,015km、燃費は20.6km/Lでした。まだまだ本格旅のリハビリです。

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