418.日本7周目その13:友ヶ島に上陸!【前編】
平成30年05月18日の早朝です。 |
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新・日本街路樹100景【築地通り】の再訪です。 築地(つきじ)通りは、和歌山市内を南北に縦断する片道2車線の大通りです。 |
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築地通りは、北は国道24号線、南はけやき大通りと連結しています。中央分離帯に、かなりの樹齢を感じさせるクスノキが続いています。 |
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新・日本街路樹100景【けやき大通り】の再訪です。 けやき大通りは、和歌山県和歌山市内を東西に横断する片道2車線の大通りです。 |
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けやき大通りは、和歌山駅から【和歌山城】の北側を通って紀ノ川大橋に続きます。片側3車線+1車線の道幅50mの大型道路で、約2kmに渡ってケヤキの木が230〜278本(諸説あり)が続いています。 |
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コンビニで昼飯用のオニギリと飲み物を購入して友ヶ島行きの船着場に向かいます。 |
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どうやら出航するかしないかの判断待ちのようでした。天気、イマイチっぽいけど大丈夫かなぁ。 |
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時刻表です。 通常だと一日4便ありますが、本日は午後から海が荒れるとのことで、朝一便のみ出航して2時間で戻ってきてくださいとのアナウンス。 |
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私の体力を考えたらゆっくりと歩きたかったですが、時間制限があるなら本気出すしかないですね! 乗船券は2,000円、駐車場は700円でした。 |
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今にも降り出しそうな曇り空ですが、出航して良かったです。 |
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友ヶ島は、地島、虎島、神島、沖ノ島の4つの無人島を合わせて友ヶ島と呼ぶそう。 |
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約20分ほど揺られてで友ヶ島(沖ノ島)に上陸です。 一目で分かる破損状況。無人島らしさが出てて良いですね。 |
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友ヶ島は、現在は無人島ですが、日本帝国の瀬戸内海防衛基地として整備されていた歴史があり、砲台跡地などが残っています。 |
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上陸したらまずは看板撮影っと。 2時間しかないのでどう巡ろうかなぁ。 |
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多くの人が上陸してから右に進路(西にある友ヶ島灯台に向かうのかな?)をとる中、私は左(東)に進路を取り一番の目玉とされる第3砲台跡地を目指します。 |
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最初に見えてきた廃墟は、将校宿舎跡地です。 |
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立ち入り禁止ですが、窓ガラスが無い状態なので覗き放題です。 |
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廃墟マニアな人はこの壁の崩れ具合とかに興奮するんだろうか。 |
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由良要塞(ゆらようさい)が整備された時代を考えると築100年位だろうか。 由良要塞は、瀬戸内海の入口にあたる紀淡海峡(きたんかいきょう)を守る要塞です。紀淡海峡は、紀伊半島と淡路島に挟まれた海峡を指します。友ヶ島水道(ともがしますいどう)とも呼ばれています。 |
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一般兵の宿舎も見れたら良かったんだけど、宿舎はここしか残っていないようです。 |
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将校宿舎跡地からすぐ先に第3砲台跡地に繋がっていました。 第3砲台跡地は、友ヶ島における最主力砲台だったとされています。 |
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第3砲台跡地の弾薬庫に到着です。思ったよりしっかり遺構が残っています。 |
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ラピュタになぞらえる気持ちもわかります。 |
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弾薬庫の室内、当然真っ暗です。 |
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内側からの一枚。 |
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別方向から来た二番手の観光客が来ましたね。独り占めタイムは終了です。 |
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それにしてもしっかりしたレンガ造りですね。流石は日本帝国軍ですね。 |
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観光地として整備されていなければ、もっと蔓が延びて、緑に覆われていたんでしょうね。 |
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おや、こんなところに地下道が。 |
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めっちゃ怖い。 |
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