410.日本7周目その5:神倉神社に参拝しよう!


 平成30年05月15日です。


 続・日本100名城【新宮城】に登ります。

 新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にある城跡です。


 新宮城は、関ヶ原の戦いの後、浅野忠吉が築城を開始しましたが、一国一城令により一度廃城となります。

 その後、幕府の許可を得て再度築城を開始しますが、主家が安芸転封となり代わって入封した水野氏が完成させたとされています。


 水野氏は、御三家で紀州の国主になった徳川頼宣の重臣で、水野氏の代は続き、そのまま明治維新を迎えました。


 私は正直、この続・日本100名城に選ばれるまでこの城郭を知らなかったわけですが、熊野川に面していて、舟入場所まであるかなりの城郭でした。流石は御三家の重臣ともなると立派なお城になりますね。


 熊野大橋が美しいですね。


 新宮市内の展望です。

 オークワがこの街の中心的な店なのかな。オークワは和歌山県に本社を置くスーパーマーケットです。


 熊野灘も見えます。実に良い立地での築城ですね。

 国の史跡【新宮城跡 附 水野家墓所】に選ばれています。別名、丹鶴城(たんかくじょう)です。現地では、丹鶴城公園として整備されています。


 06時15分に神倉神社(かみくらじんじゃ/かんのくらじんじゃ)に到着です。

 神倉神社は、和歌山県新宮市神倉1-13-8にある神社です。


 世界文化遺産に選ばれている事を示す石碑が設置されています。

 現在は熊野三山の一つ熊野速玉大社の摂社ですが、熊野信仰の祭神が最初に降誕した場所ともされており、地元民の方が既に沢山いらっしゃいました。


 急勾配の鎌倉積み石段538段を登らないといけないです。

 この石段は鎌倉幕府の初代征夷大将軍源頼朝が寄進したものと伝承があります。


 こちらは途中にある火神社です。火を焚いたお祭りの紹介がありました。


 健脚な方なら10分弱、私のような者だと15分ほど登ると辿り着きます。


 社殿の奥に実に立派な大岩が鎮座しており、こちらがご神体「ゴトビキ岩」です。


 お参りしていきます。旅が無事終えれますように。


 ゴトビキ岩は、琴引岩とも書くそうですが、ゴトビキは、ヒキガエルの方言なのだとか。

 昔の人は、この岩が大きなヒキガエルに見えたんですね。


 今まで地震でゴトビキ岩が崩れ落ちることはなかったのだろうか。


 社殿の下にある石垣も実に良い雰囲気を出していますね。


 06時40分になりました。朝日が徐々に昇ってきています。


 境内は基本的に岩の上です。

 地元民らしきお婆ちゃんに抜かされながらも参拝できて本当に良かった神社です。


 すき家で朝食を済ませて、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に参拝です。

 熊野速玉大社は、和歌山県新宮市新宮1にある神社です。車の駐車場は拝殿の近くにありますので、車を停めてから鳥居まで戻ってきました。


 ちなみに、先ほど登った神倉神社の御朱印はこちらで頂く事が出来ます。


 拝殿です。

 とても横長の造りで、十二の宮が連なっているのが特徴的です。


 拝殿の正面近くから一枚です。天気にも恵まれ実に美しいですね。

 神倉山のゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降臨したことから神倉神社は元宮、熊野速玉大社は新宮ともいいます。


 浮島の森(うきしまのもり/うきじまのもり)とは、和歌山県新宮市にある植物群落です。

 日本最大の浮島とされており、国の天然記念物【新宮藺沢浮島植物群落】に選ばれています。有料拝観の場所ですが、普通に道路上からも見えます。


 阿須賀神社(あすかじんじゃ)です。

 阿須賀神社は、和歌山県新宮市阿須賀1-25-25にある神社です。

 阿須賀神社は、かつて熊野九十九王子の一つ「阿須賀王子」としての扱われていたとされています。平成28年(西暦2016年)に世界文化遺産【紀伊山地の霊場と参詣道】に追加登録されました。


 境内に併設されている新宮市立歴史民俗資料館で続・日本100名城【新宮城】のスタンプが目当てで訪問していますが、参拝してからじっくり探索しました。


 今朝は朝から動いていますが、ここで登山用の靴に履き替えました。

 やる気満々です。


 9時になって新宮市立歴史民俗資料館が開き、続・日本100名城【新宮城】のスタンプを回収です。

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