409.日本7周目その4:太地町捕鯨歴史文化財を探そう!


 平成30年05月14日16時からです。


 道の駅「くしもと橋杭岩」で一休憩です。ポンカンソフトクリームを購入です。


 国の名勝及び天然記念物【橋杭岩】です。

 橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群です。

 橋杭岩は、約1500万年前の火成活動(マグマの活動)により、泥岩層の間に流紋岩が貫入したもので、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものです。


 大小40の岩が並んでいます。潮岬とは違い、観光客で溢れかえっていました。


 新しく出来ていた道の駅「たいじ」です。


 ここから未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【太地町捕鯨歴史文化財】の構成要件を探索します。

 この陸に上げられている船は、捕鯨船資料館です。

 捕鯨船資料館は、和歌山県東牟婁郡(ひがしむろぐん)太地町太地2934-2にある展示物です。


 捕鯨船資料館は、実物の捕鯨船(第1京丸)をそのまま展示してあります。実物の捕鯨船を見る機会はめったにないので貴重です。但し、入館まではできません。

 第1京丸は、昭和52年(西暦1977年)までの大型鯨を追って南氷洋、北氷洋に活躍し、国際捕鯨オリンピックで優勝した輝かしい歴史を持つ捕鯨船なのだとか。


 大地中学校横の道を通り抜けて燈明崎(とうみょうざき)に到着です。

 燈明崎は、和歌山県東牟婁郡太地町太地にある半島です。

 燈明崎は、古式捕鯨時代の最も重要な場所で、狼煙場跡・支度部屋跡等があり、太地町で初めて鯨油を用いた行灯式燈明台の出来た場所でもあると現地に解説板がありました。


 古式捕鯨狼煙場跡です。


 鯨の潮吹きを発見したらここで狼煙を上げたり、法螺貝を吹いたりして捕鯨船を誘導していた、と解説があります。


 支度部屋の復元でしょうか。


 ここから周辺を見渡していたのかな?

 山見と呼ばれる場所で鯨の発見のほか、この海域を行き交う船を誘導していたのだとか。


 燈明崎の燈明台跡です。

 燈明崎は、鯨油を利用した燈明灯台が設置されてから「燈明崎」と呼ばれるようになったそうです。古式捕鯨を偲ばせる狼煙場跡や復元された山見台、燈明灯台など、地元行政の努力が伺えます。


 こちらの燈明台は、江戸時代に紀州藩が常設した灯台です。紀伊続風土記によると、寛永13年(西暦1636年)に設置された旨が記録されています。明治時代になって廃止されました。

 捕鯨をするための灯火の燃料には鯨油が使われていたというのが、資源を大切にする日本人らしいな、と感じます。


 確かに岩礁の多い地形なので、明かりが無ければ座礁してしまいそうだ。


 美しい景勝地でもありますね。


 西日が眩しいですが、岬神社です。

 岬神社は、和歌山県東牟婁郡太地町太地にある燈明崎の先端にある神社です。


 こちらは遣唐使の時代、吉備真備(きび の まきび)さんが唐からの帰途、ここに遭難、漂着したと続日本記に記されていることから設立された石碑のようです。


 梶取崎(かんどりざき/かじとりざき)に移動して、くじら供養碑を発見です。

 くじら供養碑は、昭和54年(西暦1979年)に建立されたそうで、毎年04月29日には、捕鯨OBが主催する「くじら供養祭」が行われています。


 梶取埼灯台(かんとりさきとうだい)です。

 梶取埼灯台は、和歌山県東牟婁郡太地町太地1285にある灯台です。明治32年(西暦1899年)に設置された灯台です。


 梶取崎灯台の横を抜けて先端を目指します。

 右下に映っている細い道を進みます。


 こちらにも狼煙場跡があります。

 西日がきつくて見えにくいですが、古式捕鯨梶取崎狼煙場跡と書かれています。


 穴が開いた船のような岩が見れます。


 この辺り一帯、リアス式海岸のようですね。


 梶取埼灯台の遠望です。


 太地漁港です。


 日本遺産【鯨とともに生きる】に含まれている岩門(せきもん)です。

 この岩門の奥に捕鯨を始めた和田家の先祖が屋敷を構えていたことから和田の岩屋とも呼ばれてきたのだとか。


 ゆりの山温泉です。

 ゆりの山温泉は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町橋ノ川481にある温泉です。

 少し温めの硫黄泉で、日帰り入浴300円ととってもリーズナブルでした。


 地元では見かけない回転寿司があったので入ります。

 ご馳走様です。くら寿司のが美味いな!と個人的な感想を残しておき、本日はここまです。

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