407.日本7周目その2:霧山城址を登ろう!


 平成30年05月12日です。


 道の駅「宇陀路大宇陀」に到着です。  前回下見しているので、車はここに停めて徒歩で行きます。


 続・日本100名城【宇陀松山城】のスタンプ置き場にして、登り口となっている「まちづくりセンター千軒舎」です。こちらの施設の右隣から登っていきます。

 周辺は、重要伝統的建造物群保存地区【宇陀市松山】として登録されています。


 ゼハー!ゼハー!言いながら登りますが、随分と整備が進んでおり、駐車場まで完成していました。

 ここまで車で来たらダメなんやろうか。


 整備された駐車場から先は、山道になっています。


 白い花が咲く、空堀に到着です。


 本丸跡地に到着です。


 石碑があります。

 宇陀松山城は、南北朝時代の築城とされています。代々宇陀郡の有力国人・秋山氏の居城でしたが、戦国時代後期、豊臣秀長の支配下に置かれました。


 元和元年(西暦1615年)に廃城となりました。便宜上、宇陀松山城とされていますが、正式には「松山城」が正しく、秋山氏の時代では「秋山城」と呼ばれていたのだとか。


 本丸跡地からの展望です。


 続・日本100名城【宇陀松山城】に選ばれるまで知らない城跡でしたが、それなりに楽しめました。


 道の駅「宇陀路大宇陀」に戻って大宇陀ブルーベリーソフトを食べて身体を冷やしておきます。


 建武中興十五社【北畠神社】の再訪です。

 北畠神社(きたばたけじんじゃ)は、三重県津市美杉町上多気1148にある神社です。

 北畠神社は、江戸時代初期の寛永20年(西暦1643年)の創建とされており、建武中興十五社では唯一明治維新前からあった神社です。


 北畠神社の拝殿です。お参りしていきます。

 北畠神社で、続・日本100名城【多気北畠氏城館】のスタンプを回収します。


 多気(たげ)北畠氏城館(きたばたけしじょうかん)は、三重県津市美杉町上多気にある城館跡です。

 多気北畠氏城館は、南北朝時代に築城されたのが始まりとされており、伊勢国国司から戦国大名に脱皮した北畠氏の本拠地となります。


 多気北畠氏城館の詰め城である霧山城址に登っている最中の展望です。


 ひたすら杉林を登ります。

 北畠神社から私の足で休み休み40分位経過した所です。健脚な方なら15〜20分といったところでしょうか。


 別れ道がありました。この看板からあと一息です。


 ようやく史跡の看板がありました。


 鐘撞堂跡地からの展望です。

 鐘撞堂跡地は本丸とは別の曲輪となっています。


 本丸跡地からの展望です。


 霧山城址の石碑です。

 ここまで1時間ほどかかりました。健脚な人なら30分くらいかなぁ。


 西日となっており写真が撮りにくいです。


 下山を開始します。


 こちらは麓まで戻ってきた場所です。有料拝観の北畠庭園が丸見えやん。

 それにしても体力不足が深刻です。屋久島の縄文杉を見るため、時間をかけて体力を付けていきましょう。

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