406.日本7周目その1:大和郡山城を登ろう!


 平成30年05月12日です。

 私の有給消化が本日から開始されます。一ヶ月としばらくの後、私の肩書きは不動産屋さんの店長から高齢ニートに変わります。ふはは!

 日本七周目プロジェクトが発動です。七周目の目標は、下記の通りです。

 目標その1.続・日本100名城のスタンプラリーを完走し、日本100名城と併せて200名城の制覇を目指します。

 目標その2.未訪問の与那国島、波照間島に上陸し、一般国民が到達可能な最西端と最南端に辿り着くことです。

 目標その3.屋久島で縄文杉を直接見ることです。過去、天気に恵まれず断念しているので今回こそは天気が良いタイミングで訪問できるようにします。

 目標その4.九州の道の駅スタンプラリーを制覇することです。他8エリアと併せて、全国の道の駅公式制覇認定を受けたいと思います。

 目標その5.五島列島の北の方に浮かんでいる小値賀島に上陸して、姫の松原に到達して、新・日本街路樹100景を達成することです。

 目標その6.全国の一宮を巡り終わったので、全国に点在する二宮から九宮を可能な範囲で参拝し、御朱印を頂戴することです。

 目標その7.20タワーズを完走することです。

 目標1と6と7は全国範囲で、目標2、3、4、5は九州・沖縄のミッションとなるため、やや西日本重視の日本七周目となります。


 早速、続・日本100名城のスタンプラリー帳を購入です。

 近場から順に巡っていきます。


 続・日本100名城【大和郡山城】を訪問します。

 大和郡山城(やまとこおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市にある城跡です。

 大和郡山城は、南北朝時代から戦国時代にかけて秋山氏の築城とされています。


 水堀です。

 私は、三の丸駐車場から歩きましたが、遠目に車が止まっているのが見えますね。城域に無料駐車場がありました。やってしまった。


 大和郡山城は、豊臣秀吉の時代、異母弟の豊臣秀長が城主を勤めました。

 大和国、和泉国、紀伊国の100万石の大大名であった秀長がその石高に相応しい城郭整備をしたとされていますが、大和国は石材には恵まれておらず、石像も石垣に転用されたと伝わっています。


 城内本丸跡地には柳澤神社が鎮座しています。

 明治維新を迎えたときの大和郡山城の城主が柳澤氏で、柳澤神社は、明治13年(西暦1880年)に創建されました。


 続・日本100名城【大和郡山城】の新しい石碑が設置されています。


 柳澤神社の拝殿です。

 お参りして行きます。御朱印は書置きのみあるとのことでした。

 柳澤神社は、祭神に第5代将軍・徳川綱吉の側近であった柳澤吉保(やなぎさわ よしやす)で、旗本から大老格・甲府藩15万石の藩主まで出世した柳澤氏中興の祖とされる人です。


 近年、石垣のはみ出しが顕著でしたが、4年かけて復旧された本丸天守台跡地です。


 天守台からの展望です。


 大和郡山城は、大阪夏の陣の前哨戦では落城の憂き目にあっています。


 柳澤神社の立派な御神木が印象的です。


 本丸を囲う内堀です。


 続・日本100名城【大和郡山城】に選ばれてから急ピッチで整備されていっている印象です。桜の名所としても知られています。


 先ほどとは逆に、二の丸跡地から天守台を眺めます。

 かなりの陽射しの中ですが、観光客はチラホラといました。


 復元された追手門(梅林門) です。


 追手向櫓です。

 40分ほどの探索でした。有料の三の丸駐車場も100円と非常に良心的でした。


 新しい道の駅「レスティ唐古・鍵」に立ち寄ります。


 昼食がお目当てでしたが、流石に新しい道の駅なだけあり、人が溢れかえっており現地での昼食は断念。パン屋さんでパンを3つほど購入し、走りながらの昼食にしました。

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