400.福知山城に登ろう!


 平成30年04月18日です。

 私の職場の繁忙期も終わり、一息と言った所です。


 河内国交野郷二宮【二ノ宮神社】を参拝です。

 二ノ宮神社は、大阪府枚方市船橋本町1-707にある神社です。

 前回訪問時、宮司さんご不在で御朱印を頂けなかったので再訪問したのですが、またも到着したときに神事が始まったとかで1時間ほどかかるとのこと。またの機会に訪問することにしました。


 繋がった京都縦貫道を利用して福知山にあるとん吉さんへ。

 いつも行列が出来ていますが、今日は作業服の団体さんが居たくらいで10分待ちくらいでした。(写真は食後に人が居なくなってから撮影しています。)


 とんこつラーメンの大盛りです。

 天一以上にこってりしてる気がします。こってり大好きです。ご馳走様です。


 続・日本100名城【福知山城】です。

 福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市字内記5にある城跡です。

 駐車場も無料で整備されており、散歩している地元民の方も多かったです。


 天守の裏側からです。

 福知山城は、織田信長の部下として丹波を平定した明智光秀が築城し、天正09年(1581年)、女婿の明智秀満が城代を務めました。

 翌年起こる本能寺の変の後から江戸時代初期は次々に城主が代わりましたが、最終的に朽木氏が13代続いて明治維新を迎えました。


 廃城令によって解体されましたが、昭和61年(西暦1986年)に復元天守が完成し、郷土資料館として観光地となっています。

 明智光秀が結構好きな私は、近年、明智光秀の評価が改善してきているのが嬉しいです。光秀は思慮深く智勇兼備の将だったと思います。


 続・日本100名城【福知山城】の認定証がありました。

 スタンプラリーはもう始まっているはずですが、スタンプ帳をまだ未購入なんですよね。


 天守からの展望です。


 進路を西に取り、続・日本100名城【黒井城】です。

 黒井城(くろいじょう)は、兵庫県丹波市春日町多田にある城跡です。


 さぁ登ってやろうかという気持ちはあったのですが、明らかに準備不足でしたので、今回は現地確認に留めておきます。


 日本100名城【篠山城】です。

 篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県丹波篠山市北新町にある城跡です。

 篠山城は、慶長14年(西暦1609年)、徳川家康の天下普請によって築城されました。縄張は藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政が努めました。


 山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大阪の豊臣氏をはじめとする西国諸大名の抑えとするのが目的であったとされています。

 現地では、見事な高石垣が城郭を守っており、その外を水堀で囲っています。「城郭が強固過ぎる」という理由で天守は築かれなかったエピソードも頷ける威容が残っています。


 徳川家康の落胤との説もある松平康重(まつだいら やすしげ)が初代城主を勤め、その後、別系統の松平家が城主を務めたのち、青山家の時代に明治維新を迎えました。

 その後、幼稚園から中学校や女子高校など色々と利用されていましたが、現在は総て城外に移され、城跡公園として整備されています。

 平成12年04月には二の丸御殿の中心的建物だった大書院(おおしょいん)が復元されています。


 重要伝統的建造物群保存地区【篠山市篠山】です。

 篠山市篠山地区は、【篠山城】の城下町として発展した地区です。城下町としての武家屋敷群と商家町がセットで重伝建の指定を受けています。これは珍しいパターンです。


 篠山城の外堀西側には御徒歩町(おかちまち)通り沿いに武家屋敷群が広がっており、篠山城東側には、街道沿いに商人町人の住宅街が広がっており、江戸時代末期から明治時代にかけての妻入玄関の邸宅が並んでいます。

 どちらが立派な邸宅だったか一目でわかります。士農工商と身分制があったとかなかったとか最近では議論がありますが、実際に名はあっても実の無かった侍と、名はなくとも実を持っていた商人という構造が想像できます。


 道の駅「山田錦発祥のまち・多可」で一服です。


 播磨国二宮【荒田神社】を参拝です。

 荒田神社(あらたじんじゃ)は、兵庫県多可郡多可町加美区的場145-1にある神社です。


 荒田神社は、社伝によれば、天平勝宝元年(西暦749年)に少彦名命がこの地に降臨したことが起源とされています。

 平安時代には、坂上田村麻呂が崇敬し、社殿を造営したという伝承も残されています。


 平成の名水百選【松か井の水】です。

 松か井の水(まつかいのみず)は、兵庫県多可郡(たかぐん)多可町(たかちょう)加美区奥荒田の高坂峠近くから出る湧水です。


 室町時代に赤松義村が定めた「播磨十水」の一つと伝えられています。峠越えの旅人が生き倒れとなった時、この水を飲んで回復したとの伝承があるとか。  以前は山の中に降りて汲んだ覚えがあるのですが、便利に整備されていますね。


 道の駅「銀の馬車道・神河」です。

 ここから帰るのもしんどいので一泊していくことに決めて豊岡市にあるホテルに入ります。

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