395.九州遠征その20:島原城と原城跡


 平成30年01月02日からです。


 日本100名城【島原城】の再訪です。

 島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市にある城跡です。

 島原城は、松倉重政(まつくら しげまさ)による築城です。4万3千石の大名でありながらこの規模の大城郭を造るのは相当の見栄っぱりだったようで、当然石高以上の城郭を維持するために圧政を敷いたようです。

 この圧政の不満の高まりから、島原の乱に繋がり、その息子は改易され、大名でありながら斬首にされています。大名の場合、悪事を働いても普通は名誉を守れる切腹で済みます(当時の感覚)。これは江戸時代で唯一のケースでした。


 こちらは天守からの東の展望です。有明海を隔てて対岸の熊本県が見えています。


 こちらは西の展望です。

 雲仙普賢岳を中心とした山塊が見えます。


 天守の裏手には面白い石造が沢山ありました。


 江戸時代から残る大規模な石垣と堀が見所になっており、昭和39年(西暦1964年)に復元された五層天守も存在感を示しています。

 駐車場代320円、入館料540円と九州の観光地としてはちょっと高めの設定ですが、現地には武将のコスプレをしたスタッフがいたりと、島原観光の中心地として努力している姿が伺えます。


 茶平工業さんの記念メダルを回収です。ご当地サイダーも購入です。


 道の駅「みずなし本陣ふかえ」です。

 島原城に行く前の今朝8時半に訪問しましたが、普段8時半にオープンなのに本日1/2に限っては9時半スタートなのだとか。何その中途半端な正月対応は…。

 道の駅「みずなし本陣ふかえ」を再び訪問して道の駅スタンプの回収です。


 続・日本100名城【原城】を訪ねます。

 原城(はらじょう)は、長崎県南島原市南有馬町にある城跡です。別名、日暮城です。


 原城は、島原半島の南部に位置し、明応05年(西暦1496年)、日野江城の支城として有馬貴純(ありま たかずみ)によって築かれたのが始まりとされています。


 江戸時代初期の一国一城令の後、原城は廃城されましたが、寛永14年(西暦1637年)に起こった島原の乱の際には反乱軍が立てこもって抵抗しました。

 島原の乱の後には幕府によって徹底的に破却されたとのことです。


 徹底的に破却されたとはいえ、現地では大きな空堀や石垣跡などが復元されていました。

 国の史跡【原城跡】や世界文化遺産【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】に選ばれています。


 九州西国三十三観音霊場24番札所【観音寺】を参拝です。

 観音寺(かんのんじ)は、長崎県諫早市飯盛町里118にある曹洞宗の寺院です。

 観音寺は、寺伝によると、神亀年間(西暦724〜729年)に行基によって開基されたと伝わります。本尊は行基が自ら刻んだとされる「行基七観音」の一つと伝わります。

 当日、住職さんはご不在で、書置きがあるという場所も鍵がかかっており、あれれ?住職さんに電話して確認。どうやらお手伝いさんが勝手に鍵をかけちゃったのだとか。そうすると住所を書いてポストに入れておくと郵送してくれるとのことでしたので、300円と住所メモをポスト投函しておきました。

 後日、自宅に御朱印が到着しました。ありがとうございます。


 九州西国三十三観音霊場25番札所【清水寺】を参拝です。

 清水寺(きよみずでら)は、長崎県長崎市脇岬町2330にある曹洞宗の寺院です。


 観音寺は、寺伝によると、和銅02年(西暦709年)に行基による開基と伝わります。通称・みさきの観音として親しまれているとか。本尊は行基が自ら刻んだとされる「行基七観音」の一つと伝わります。

 ここは初詣客も多かった印象です。地元の信仰が厚い様子です。

[前の旅先]を見る [次の旅先]を見る
[旅行記4]に戻る

[旅人の記録]に戻る

[トップページ]に戻る