394.九州遠征その19:清水の滝を見よう!


 平成30年01月01日の午後からです。


 九州西国三十三観音霊場19番札所【観音寺】を参拝です。

 観音寺(かんのんじ)は、福岡県久留米市田主丸町石垣275にある天台宗の寺院です。

 観音寺は、寺伝によると、白鳳02年(西暦673年)に天武天皇(第40代陛下)の勅願寺として創建されたと伝わります。住職さんからカレンダーを頂戴しました。


 九州西国三十三観音霊場20番札所【地蔵院】を参拝です。

 地蔵院(じぞういん)は、佐賀県神埼市神埼町的1688にある天台宗の寺院です。

 地蔵院は、寺伝によると、天平元年(西暦729年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により行基によって開創されたと伝わります。


 日本100名城【佐賀城】です。

 佐賀城(さがじょう)は、佐賀県佐賀市城内にある城跡です。

 佐賀城は、平安時代末期に藤原氏が龍造寺村に土着して龍造寺氏と改めて以来、村中城として整備されました。


 村中城は、戦国時代に龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)が有名な「沖田畷の戦い」で島津家久(しまづ いえひさ)に敗れるまで龍造寺氏の支配地の居城でした。

 その後、名将・鍋島直茂(なべしま なおしげ)が実権を握り、江戸時代に入って、村中城を大規模に改修し、佐賀城として生まれ変わり、佐賀藩の中枢となりました。内堀の幅が大規模で外から見ると石垣で守られており、内側は土塁になっていました。


 現在は佐賀城公園(さがじょうこうえん)として整備されています。本丸御殿が木造復元されており佐賀城本丸歴史館として無料公開されています。

 現地にある銅像は、藩祖・鍋島直茂ではなく第10代肥前国佐賀藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)でした。


 平成22年07月03日に昭和の名水百選【清水川】で訪問した九州西国三十三観音霊場21番札所【宝地院】を訪ねます。

 宝地院(ほうちいん)は、佐賀県小城市小城町松尾2209-1にある天台宗の寺院です。


 凛々しい阿吽の像が出迎えてくれます。


 宝地院は、寺伝によると、延暦22年(西暦803年)に桓武天皇(第50代陛下)の勅願により開創されたと伝わります。


 参拝します。


 龍の彫刻が際立っています。


 御朱印を頂き、境内の奥にある清水の滝を眺めます。

 清水の滝は、落差約70mとされており、滝行の霊場となっています。


 滝壺近くには、不動明王が安置されています。

 老夫婦と息子か娘夫婦と孫と思しき一家が参拝していました。お正月の一家団欒とは程遠い一人旅のおぢさんです。


 肥前国三宮【天山神社】を参拝です。

 天山神社(てんざんじんじゃ)は、佐賀県小城市小城町岩蔵2348にある神社です。

 天山神社は、佐賀県で3番目に大きな山とされる霊峰・天山に対する山岳信仰を基盤とした神社と考えられています。


 肥前国三宮【天山社】を参拝です。

 天山社(てんざんしゃ)は、佐賀県小城市小城町晴気3563にある神社です。

 肥前国の二宮は不詳でわかっておらず、三宮は2社残っています。恐らく社名を見ても上社と下社ということでしょう。


 九州西国三十三観音霊場22番札所【観世音寺】を参拝です。

 観世音寺(かんぜおんじ)は、佐賀県藤津郡太良町竹崎248にある真言宗御室派の寺院です。

 観世音寺は、寺伝によると、和銅02年(西暦709年)に行基によって開基されたと伝わります。修正会鬼祭(しゅしょうえおにまつり)は国の重要無形文化財に指定されています。


 九州西国三十三観音霊場23番札所【和銅寺】を参拝です。

 和銅寺(わどうじ)は、長崎県諫早市法川20にある曹洞宗の寺院です。

 和銅寺は、寺伝によると、和銅元年(西暦708年)に元明天皇(第43代陛下)の勅願により行基の開基と伝わります。本尊は行基が自ら刻んだとされる「行基七観音」の一つと伝わります。

 その後、島原半島のホテルに入ります。

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