390.九州遠征その15:臼杵城に登ろう!
平成29年12月31日です。 |
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新・日本街路樹100景【臨海産業道路】を訪ねます。 臨海産業道路(りんかいさんぎょうどうろ)は、大分県大分市を通る県道です。正式には、大分県道22号大在(おおざい)大分港線です。 臨海産業道路は、道幅が40mあることから「40メーター道路」とも呼ばれているのだとか。かつては路面電車を走らせる計画もあったという広い中央分離帯にはクスノキ並木が植栽されています。 |
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九州西国三十三観音霊場9番札所【吉祥院・観音院】に参拝です。 吉祥院(きっしょういん)・観音院(かんのんいん)は、大分県大分市千歳高城山にある天台宗の寺院です。 |
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吉祥院・観音院は、寺伝によると、神亀04年(西暦727年)に行基が如意輪観音像を安置したことが始まりと伝わります。 吉祥院と観音院という二つの寺院が一つの観音堂(本堂)を共同で管理しており、祭事などを交互に執り行っています。 御朱印も交互で対応されているようで、私が最初に訪ねた方は休日でした。初見さんに優しくないので「本日はこっちの院」の案内を用意したら良いと思います。 |
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次の札所に向かって、プリウス君のカーナビに従っているとこの有様です。 平成28年(西暦2016年)04月の熊本地震被害がまだ残っているのかなぁ。もうちょっと手前に案内板置いておいて欲しいな…。 九州西国三十三観音霊場10番札所【円通寺】に電話を入れて、ルート確認をします。県道21号線を使って迂回して行けば大丈夫とのこと。 |
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九州西国三十三観音霊場10番札所【円通寺】を参拝です。 円通寺(えんつうじ)は、大分県大分市広内442にある天台宗の寺院です。 写真は、推定樹齢300年以上とされている円通寺のイチョウです。 |
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円通寺は、寺伝によると、崇峻天皇04年(西暦591年)に百済の僧・日羅(にちら)により開山されたと伝えられています。 |
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九州西国三十三観音霊場特別札所【興山寺】を参拝です。 興山寺(こうざんじ)は、大分県臼杵市福良2366-1にある高野山真言宗の寺院です。 |
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興山寺は、元々和歌山の高野山にあり、明治02年(1869年)に青巌寺と興山寺が合併し、金剛峯寺となった際、興山寺の名が消滅するのを惜しんだ仏僧が大分県で再建したと伝わります。 |
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九州西国三十三観音霊場特別札所【興山寺】と2番札所【長谷寺】の御朱印を頂きます。 |
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続・日本100名城【臼杵城】です。 臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある城跡です。 |
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臼杵城は、永禄05年(西暦1562年)に臼杵湾に浮かぶ丹生島に大友義鎮(おおとも よししげ/大友宗麟)が、丹生島城(にうじまじょう)を築城したのが始まりとされています。 大友氏と島津氏との「丹生島城の戦い」では、ポルトガルから入手した国崩し(大砲)で対抗し守り抜きました。 |
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関ヶ原の戦いの後、【郡上八幡城】から稲葉貞通(いなば さだみち)が5万石の大名として入封し、明治維新まで稲葉氏15代の居城となりました。 空堀の中に銀杏が沢山積もっていて実に美しかったです。 |
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外堀には鴨さんが沢山泳いでいました。 外堀と表現しましたが、かつては丹生島にあった城跡だったので外堀ではなく海跡と表現すべきか。 明治維新後、西南戦争の時に西郷隆盛の反乱軍に破れ落城しています。その後、奪還出来るものの明治20年(西暦1887年)に城の周囲の海が埋め立てられて陸続きになりました。 |
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城下の岩に穴が空いているので何だろうと思ったら、大東亜戦争時代に造られた防空壕跡だったようです。 幾つかの大き目の穴は石塁で埋められており入れなくしてあります。平時だと歴史遺産を大切にしようとなりますが、爆撃されるような時代なら防空壕掘るよね。 大東亜戦争末期には、本土決戦に向けて臼杵城の地下に秘密工場を造る指令が出ていたとか。 |
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