363.中国遠征その35:中国四十九薬師霊場その8


 平成29年05月31日の午後からです。


 中国四十九薬師霊場3番札所【勇山寺】を参拝です。

 勇山寺(いさやまじ/いざやまじ)は、岡山県真庭市鹿田482にある高野山真言宗の寺院です。


 勇山寺は、寺伝によると、神亀03年(西暦726年)に行基による開基と伝わり、本尊の木造薬師如来坐像は行基作、木造不動明王坐像及び二童子像は弘法大師・空海作と伝わっています。


 近くにある道の駅「醍醐の里」に立ち寄ります。

 路面に描かれた桜に、ちょっと前に見に来た醍醐桜を思い出します。


 中国四十九薬師霊場1番札所【大村寺】を参拝です。

 大村寺(おおむらじ)は、岡山県上房郡吉備中央町上竹5600にある天台宗の寺院です。


 立派な仁王像がお迎えしてくれます。


 大村寺は、寺伝によると、天平年間(西暦729〜749年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願で行基が草創したと伝わります。

 本堂は、弘化04年(西暦1847年)に備中松山城主・板倉勝職が再建したと伝わります。


 「男はつらいよ」ロケ地のアピールです。

 「男はつらいよ」ロケ地は旅先の所々で見かけますがが、私は世代が違うし、TVっ子ではなかったので「男はつらいよ」を見たことがありません。

 「裸の大将」なら面白く見た記憶があるんですが。お、おにぎりが欲しいんだな。


 中国四十九薬師霊場2番札所【薬師院】を参拝です。

 薬師院(やくしいん)は、岡山県高梁市上谷町4100にある真言宗善通寺派の寺院です。


 薬師院は、寺伝によると、寛和02年(西暦986年)に花山天皇(第65代陛下)の勅願によって創建されたと伝わります。江戸時代に入って現在地に移転したと伝わります。


 境内には立派な鬼瓦が置かれていました。


 日本の道100選【本町楢井線・下町薬師院線】です。

 本町楢井線(ほんまちたるいせん)・下町薬師院線(したまちやくしいんせん)は、ともに岡山県高梁市の市道です。通称として「紺屋川(こうやがわ)通り」です。


 高梁市は、備中松山城の城下町として発展した歴史があり、城下町の中心を東西に流れる紺屋川沿いが美観地区として整備されています。日本の道100選【本町楢井線・下町薬師院線】の顕彰碑は、紺屋川沿いに設置されていました。


 中国四十九薬師霊場12番札所【国分寺】を参拝です。

 国分寺(こくぶんじ)は、広島県深安郡神辺町御領1454にある真言宗大覚寺派の寺院です。


 国分寺は、寺伝によると、天平13年(西暦741年)の聖武天皇(第45代陛下)による国分寺建立の詔によって創建された備後国国分寺の後継寺院とされています。

 現在の寺院の南側には備後国分寺跡が発掘されています。


 中国四十九薬師霊場11番札所【東福院】を参拝です。

 東福院(とうふくいん)は、広島県深安郡神辺町湯野1663にある高野山真言宗の寺院です。


 東福院は、寺伝によると、天平16年(西暦744年)の聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が創建したと伝わります。

 住職さんから境内の湧水を頂きました。ありがとうございます。


 福山自動車時計博物館を訪ねます。

 福山自動車時計博物館は、広島県福山市北吉津町にある博物館です。


 福山自動車時計博物館は、能宗孝(のうそう たかし)さんが集められたクラッシックカーと時計が展示されています。


 キャッチフレーズ「乗って、見て、触れて、写真も撮れる、体験博物館」は素晴らしいアプローチだと思います。

 規模は小さいですが、写真撮影も自由で、車に乗れるので小さな子供は喜ぶかも。でも入場料900円は少し高いかなぁ。


 基本的に身体の大きな私にはレトロな車両にはサイズオーバーでとても乗りづらいです(涙)。


 頑張って広島タクシーに乗ってみましたが、このタクシー、ギアが股間にありとっても運転しづらかったんじゃないだろうか。

 茶平工業さんのメダルを購入しています。メダルが目的です。hehe...。


 道の駅「クロスロードみつぎ」です。お!温泉あるのか。


 尾道ふれあいの里に到着です。

 日帰り入浴820円でした。ぼちぼちな価格設定で露天風呂やサウナ有りでした。宿泊しても良いかなと少し悩みましたが、本日は車中泊で節約します。

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