364.中国遠征その36:中国四十九薬師霊場その9


 平成29年06月01日です。


 新しい道の駅「世羅」から本日のスタートです。

 私の中国地方の道の駅めぐりも広島県の道の駅を残すだけです。


 こちらも新しい道の駅「びんご府中」です。


 中国四十九薬師霊場15番札所【薬師寺】を参拝です。

 薬師寺(やくしじ)は、広島県福山市今津町1352にある真言宗御室派の寺院です。


 立派な山門の中には鐘楼がありました。


 薬師寺は、寺伝によると、延暦23年(西暦804年)に弘法大師・空海が唐へ渡る途中にこの浦に立ち寄り、海上安全を祈願されたと伝わります。


 日本三大稲荷【草戸稲荷神社】を参拝です。

 草戸稲荷神社(くさどいなりじんじゃ)は、広島県福山市草戸町1467番地にある神社です。


 三大稲荷の8社目となります。

 草戸稲荷神社では、伏見、豊川、草戸を三大稲荷にしているのだとか。見ての通り、鉄筋コンクリート造の神社になります。


 草戸稲荷神社は、広島県内でも広島護国神社についで二番目に参拝者が多い神社だそうで、初詣には約40万人が参拝するそうです。


 境内から福山市内を展望できます。


 続いて日本100名城【福山城】にある三蔵稲荷神社(さんぞういなりじんじゃ)です。


 能舞台があります。

 三蔵稲荷神社は、福山城築城の際、初代藩主・水野勝成が備後国の守護神として城内に創建したのが始まりとされています。

 毎年11月には、ミス三蔵稲荷コンテストが行われているそう。神社で巫女服のミスコンとは一定のコア層から受けそうだ。


 御朱印を頂きます。


 日本100名城【福山城】です。

 福山城(ふくやまじょう)は、広島県福山市丸之内にある城跡です。

 元和05年(西暦1619年)、福島正則が改易された後、徳川家康の従兄弟である水野勝成が備後福山藩10万石として入封しました。


 水野家というのはあまりメジャーとは言えませんが、元々歴史の教科書に桶狭間の戦いや徳川独立の時代の頃を織田が尾張、徳川が三河とアバウトに載っていますが、実際尾張の東と三河の西は水野家の領土で、当初は家臣というより同盟相手でした。

 元和08年(西暦1622年)に福山城は完成しますが、幕府の公金が支出されており、基本的には西国の外様大名を監視する役として立派な城郭を整えさせたのだと思います。10万石の藩主としては破格の城郭と言えます。


 こちらでも茶平工業さんのメダルを回収しました。

 天守に入り込んでいた鳩さんが我が物顔で椅子を占領しています。


 国の史跡【福山城跡】です。別称として久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)などと呼ばれることもあるそう。


 中国四十九薬師霊場10番札所【日光寺】を参拝です。

 日光寺(にっこうじ)は、岡山県笠岡市神島町外浦2771にある高野山真言宗の寺院です。


 日光寺は、寺伝によると、本尊は伝教大師・最澄作と伝わります。開基は不詳なものの、境内に文永11年(西暦1274年)在銘の石仏があることから、鎌倉時代には存在していたと考えられています。

 境内から、瀬戸内海の島々を楽しめます。そろそろ帰らないと。


 道の駅「笠岡ベイファーム」に立ち寄ります。一面を赤く染めるポピー畑です。


 山陽自動車道の道口PAで尾道ラーメンとチャーシュー丼で昼食です。

 宝塚のいつもの渋滞が始まる前に抜けれて帰宅出来ました。今回の旅路は、2泊3日923kmの行程でした。燃費は20.1km/Lと、最近タイヤが疲れてきたのか燃費が下降傾向です。20km/Lを切ったらタイヤ交換しようかな。

[前の旅先]を見る [次の旅先]を見る
[旅行記4]に戻る

[旅人の記録]に戻る

[トップページ]に戻る