361.北陸遠征その22:富山の和漢薬のかおり


 平成29年05月25日です。


 かおり風景100選【富山の和漢薬のかおり】を訪ねます。

 池田屋安兵衛商店さんです。白壁の土蔵造りに「越中反魂丹」の暖簾が目印です。

 かつて周辺一帯、和漢薬の店舗が並んでいたそうですが、明治維新によって西洋医学が流入することで流れが変わり、和漢薬で得た財で銀行など他業種にビジネス展開していき町並みが変わっていったと現地の老齢な営業マン。


 ちょっとお高いですが「いけだや六神丸」という動悸、息切れ対策になるという心臓を強くする薬を購入しました。山登りのときに使おう。


 北陸自動車道に入って呉羽PAで朝食にします。


 ご当地っぽいもの、ラーメンは昨夜食べたのでソースカツ丼にしました。ご馳走様です。


 20タワーズ【クロスランドタワー】を訪ねます。

 クロスランドタワーは、富山県小矢部市鷲島10にある展望塔です。


 クロスランドタワーは、平成06年(西暦1994年)05月01日完成で高さ118m、展望台は地上100mにあります。私の訪問時、入場料420円でした。砺波平野(となみへいや)を一望する事が出来ます。東西南北どこを見ても豊かな田園と点在する住宅の風景が広がっています。


 高速道が十字に走り、工業化が進んでいると小矢部市の紹介がありましたが、どう見ても田園風景が広がっています。


 現地には、人と自然が織りなす日本の風景百選【砺波平野の散居村】の案内があります。

 富山県の西部に位置する砺波平野には、散居村(さんきょそん)が広がっています。

 散居村とは、田圃や畑など広大な土地の間に邸宅が散らばって点在する集落形態のことを指します。砺波平野では、各邸宅には周囲に屋敷林を設けている場合が多く、地元では「カイニョ」と呼ぶそう。


 恋人の聖地【クロスランドタワー展望フロア/ハートアイランド】にも選ばれています。


 茶平工業さんのメダルと20タワーズのスタンプを回収です。


 福井県に入って20タワーズ【東尋坊タワー】に到着です。

 東尋坊タワーは、福井県坂井市三国町東尋坊にある展望塔です。大分天気も回復して来ました。


 東尋坊タワーは、昭和39年(西暦1964年)09月27日完成で高さは55mあります。入場料500円でした。

 美しい海岸線を眺められますが、東尋坊からも眺められるのは秘密です。


 こちらの連なる商店街の奥に、東尋坊があります。

 そう、実は東尋坊タワーなのに東尋坊は見れないのです。見事な初見殺しですが、昭和の雰囲気溢れるレトロな空間がこのタワーの良さです。


 西の海岸線です。天気が回復して本当に良かった。


 茶平工業さんのメダルと20タワーズのスタンプを回収して次に向かいます。


 日本100名城【丸岡城】を訪ねます。

 丸岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞にある城跡です。


 石造りの鯱が麓に置かれています。


 丸岡城は、織田信長の時代、柴田勝家の甥である柴田勝豊(しばた かつとよ)により築城されたのが始まりで、豊臣秀吉の時代は丹羽長秀の家臣・青山宗勝(あおやま むねかつ)が治めました。


 天守からの遠望です。住宅街が広がっています。

 関が原の合戦後、徳川家康の次男・結城秀康を経て、越前丸岡藩初代藩主・本多成重(ほんだ なりしげ/本多重次の長男)から数代を経て、肥前出身の有馬氏が入って明治維新を迎えました。


 非常に急峻な階段がその趣を残しています。

 現存十二天守の一つにして、日本最古の現存天守と言われていましたが、平成31年、丸岡城の国宝化を目指す坂井市が専門家調査を実施しましたが、寛永年間(西暦1624年〜1644年)の築城ではないかとの調査結果が出て来ました。


 今回の旅路で回収したご当地サイダーです。


 丸岡城のご当地ソフトは、コシヒカリおこげソフトクリームでした。ご当地もの作りも大変やね〜。

 けっこう美味しかったです。


 滋賀県まで戻って新・日本街路樹100景【メタセコイヤ並木】に立ち寄ってから帰宅です。

 マキノ高原のメタセコイアは、滋賀県高島市マキノ町にある総延長2.5kmの並木道です。

 今回の旅路は、1泊2日965kmの行程、燃費は20.5km/Lでした。

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