351.中国遠征その26:松下村塾を訪ねよう!


 平成29年05月04日です。


 道の駅「ゆうひパーク三隅」です。

 道の駅の裏手は日本海が広がっており、恐らくここも夕陽が綺麗な道の駅なのでしょう。


 電車が通りかかりました。山陰本線かな?鉄ちゃんが喜びそうな場所です。日陰になっているので午後の方が撮影向きかも。


 とても立派な藤棚があります。


 道の駅「阿武町」です。

 しかしオープン時間が10時からと遅く、それまで待っているのも勿体無いので、次の道の駅へ進みます。


 道の駅「萩しーまーと」です。


 こちらで朝食を購入します。


 松下村塾(しょうかそんじゅく)を訪ねます。

 松下村塾は、山口県萩市にある吉田松陰先生の私塾跡地です。平成27年(西暦2015年)には世界文化遺産【明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業】の構成資産となっています。


 吉田松陰先生が講義されていた場所です。

 吉田松陰先生は歴史上の人物の中でも、特に好きな人物の一人です。

 日本男子に生まれたからには、時代が時代ならば先生のように信念に生きる生涯を送ってみたいと憧れていましたが、そんな私も既に29歳で亡くなられた吉田松陰先生よりも年上になってしまいました。


 松下村塾跡地は、現在、松陰神社の境内地となります。


 御朱印も「至誠」です。


 吉田松陰歴史館の傍らに茶平工業さんのメダル販売機を発見です。hehe...


 中国三十三観音霊場20番札所【大照院】を参拝です。

 大照院(だいしょういん)は、山口県萩市椿青海4132にある臨済宗南禅寺派の寺院です。


 大規模な補修工事の真っ最中でしたが御朱印は無事、頂戴出来ました。

 大照院は、寺伝によると、明暦02年(西暦1656年)に萩藩2代目藩主・毛利綱広(もうり つなひろ)が、初代藩主・毛利秀就(もうり ひでなり)の菩提を弔うために再興し、現在の寺号に改名しています。


 中国三十三観音霊場21番札所【観音院】を参拝です。

 観音院(かんのんいん)は、山口県萩市大字山田5148にある臨済宗建仁寺派の寺院です。


 境内からは萩城のある指月山が良く見えます。


 橋本川が萩城の外堀の役目を担う形になっているのがよくわかります。


 観音院は、寺伝によると、永禄元年(西暦1558年)に創建されたと伝わります。通称・玉江観音と呼ばれ、海の護り観音として崇められていたそう。


 そろそろ夏みかんの花を見れるかと期待を込めて萩城下を探索します。うーん。果実だけですね。

 かおり風景100選【萩城下町夏みかんの花】を完全に達成したくて大分調べましたが、5月に花が咲き、1年後には果実が食べ頃となり、収穫できるようになります。なので花が咲いている時期にと果実も立派になっているはずですが…。少し時期が早かったのでしょうか。


 道の駅「萩往還」に立ち寄り昼食にします。


 「瓦そば」です。美味しかったです。ご馳走様です。

 現地の説明書きによると、「西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べた」という逸話を古老から伝え聞いたことから閃いき、山口の名物として広がったとのこと。


 中国三十三観音霊場15番札所【漢陽寺】を参拝です。

 漢陽寺(かんようじ)は、山口県周南市鹿野上2872にある臨済宗南禅寺派の寺院です。


 漢陽寺は、寺伝によると、応安07年(西暦1374年)に用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)が開山し、周防国・長門国の守護大名・大内氏の祈願所として栄えたと伝わります。


 実はここ、二回目の訪問です。

 平成23年03月31日に平成の名水百選【潮音洞・清流通り】を探してウロチョロした覚えがあります。

 漢陽寺の本堂裏の潮音洞(江戸時代に造られた水路用のトンネル)から流れ出る水は、境内の庭園を形成する水流となったのち、清流通り沿いへと流れ下流の用水として用いられています。


 潮音洞です。

 潮音洞は、約350年の間、農業用水、防火用水として活用されているのだとか。


 道の駅「阿武町」に戻ってきて、夕食を頂いてから温泉を利用します。

 鹿島定食を頂きます。

 煮つけがとても美味しかったけど、ご飯がイマイチでした。ご馳走様です。

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