192.日本6周目の旅その81:四国遍路その6
平成26年01月02日です。 |
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再び道後温泉を抜けて、伊予国一宮【大山祇神社】を目指します。 大山祇神社は伊予国一宮ですが、本土にはなく、瀬戸内海の島・大三島にあります。 連れが、愛媛県は蜜柑だと言うので購入。食べ終わるまで大人しくなりました。 |
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伊予国一宮【大山祇神社】を参拝です。 大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦3327にある神社です。 大山祇神社は、社伝によると、推古天皇02年(西暦594年)の創建と伝わります。山や海の神様として、また武人の神として信仰され、源氏や平氏から帝国海軍まで戦勝祈願のために甲冑や刀剣を奉納しました。国宝8点、国の重要文化財682点を含む、多数の貴重な武具や甲冑を所有しています。 今年の初詣です。昨日も四国八十八ヶ所霊場の札所で初詣客が沢山いましたが、私の感覚では初詣は神社でのお参りなので、伊予国一宮【大山祇神社】が私の初詣です。神州の不滅と御皇室の弥栄、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。 |
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しまなみ海道を島単位で乗り降りて道の駅を訪ねます。 今年は四国の道の駅を制覇したいと思います。 |
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四国八十八ヶ所霊場54番札所【延命寺】を参拝です。 延命寺は、愛媛県今治市阿方甲636にある真言宗豊山派の寺院です。 延命寺は、寺伝によると、養老04年(西暦720年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が開創したと伝わります。弘仁年間(西暦810〜824年)に弘法大師が再興したと伝わります。元々の寺号は圓明寺でしたが、53番札所・圓明寺と混同されるため、明治時代に入って通称だった延命寺に改名しています。 |
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四国八十八ヶ所霊場55番札所【南光坊】を参拝です。 南光坊は、愛媛県今治市別宮町3丁目一番地にある真言宗醍醐派の寺院です。 南光坊は、四国八十八ヶ所霊場の中で唯一「坊」の札所となります。元々は、大三島に鎮座する日本総鎮守・大山祇神社の別当寺として創建され、大宝03年(西暦703年)に現在地に移されたと伝わります。 |
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四国八十八ヶ所霊場56番札所【泰山寺】を参拝です。 泰山寺は、愛媛県今治市小泉1-9-18にある真言宗醍醐派の寺院です。 泰山寺は、寺伝によると、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が開基したと伝えられています。寺はその後、淳和天皇(第53代陛下)の勅願所となり隆盛しましたが、度重なる兵火で衰退したと伝わります。 |
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四国八十八ヶ所霊場57番札所【栄福寺】を参拝です。 栄福寺は、愛媛県今治市玉川町八幡甲200にある高野山真言宗の寺院です。 栄福寺は、寺伝によると、弘仁年間(西暦810〜824年)に弘法大師・空海が開基したと伝えられています。寛政12年(西暦1800年)付の巡礼に来た人の名で「八幡宮別当栄福寺」と記されている納経帳が奉納されています。 |
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四国八十八ヶ所霊場58番札所【仙遊寺】を参拝です。 仙遊寺は、愛媛県今治市玉川町別所甲483にある高野山真言宗の寺院です。 仙遊寺は、寺伝によると、天智天皇(第38代陛下)の勅願により、伊予の国主・越智守興(おち もりおき)が作礼山に堂宇を建立し創建したと伝わります。 |
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四国八十八ヶ所霊場59番札所【国分寺】を参拝です。 国分寺は、愛媛県今治市国分4-1-33にある真言律宗の寺院です。 国分寺は、天平13年(西暦741年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、天下泰平を祈願して全国68ヶ所に創建された国分寺の一つです。寺伝では、行基によって開基されたと伝えられています。藤原純友の乱、源平合戦、細川頼之の兵火、長宗我部元親の兵火と4度も戦乱に巻き込まれ焼失している不運な寺院です。 |
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四国三十六不動尊霊場21番札所【満願寺】を参拝です。 満願寺は、愛媛県今治市朝倉下甲145にある高野山真言宗の寺院です。 満願寺は、寺伝によると、天平06年(西暦734年)に、道慈律師(どうじりっし)によって開創されたと伝えられています。金毘羅大権現を守護神としており神仏習合の文化が残っています。 |
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四国別格二十霊場10番札所【興隆寺】を参拝です。 興隆寺は、愛媛県西条市丹原町古田1657にある真言宗醍醐派の寺院です。 |
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四国三十六不動尊霊場22番札所【興隆寺】を兼ねています。 興隆寺は、寺伝によれば、皇極天皇元年(西暦642年)に空鉢(くうはち)によって開かれたとされています。その後、報恩大師(ほうおんだいし)や弘法大師・空海もこの地を訪れ、桓武天皇(第50代陛下)の勅願寺にもなったと伝えられています。通称・西山興隆寺(にしやまこうりゅうじ)です。 |
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四国別格二十霊場11番札所【生木地蔵】を参拝です。 正善寺は、愛媛県西条市丹原町今井141-1にある高野山真言宗の寺院です。生木地蔵は、愛媛県西条市丹原町高松248-1にある正善寺の境外仏堂(地蔵堂)です。 生木地蔵は、伝説によると、弘法大師・空海がこの地を訪れた際、一本の大きな楠から大師は、木を生かしたまま地蔵菩薩像を掘り出したと伝えられています。楠の大木は昭和29年(西暦1954年)09月26日に来襲した洞爺丸(とうやまる)台風によって根元から倒れましたが、現在も大切に保管されています。 |
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四国八十八ヶ所霊場60番札所【横峰寺】を参拝です。 横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚甲2253にある真言宗御室派の寺院です。 横峰寺は、寺伝によると、白雉02年(西暦651年)に役行者(えんのぎょうじゃ)が石鎚山を遥拝する星ヶ森(ほしがもり)で修行中に蔵王権現が現れたことから、その姿を石楠花の木に刻んで祀ったのが始まりとされています。※山号の石づち山の「づち」は、鉄の右が「夫」です。 歩き遍路だと、遍路転がしと呼ばれる札所が幾つかありますが、車遍路でも年末年始は雪道になる札所があるので注意が必要です。私も今まで四国で積雪するイメージがなかったです。 |
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四国八十八ヶ所霊場61番札所【香園寺】を参拝です。 香園寺は、愛媛県西条市小松町南川甲19にある真言宗御室派の寺院です。 香園寺は、寺伝によると、聖徳太子が父親の用明天皇(第31代陛下)の病気平癒を祈願して創建したと伝わります。弘法大師・空海が訪れた際、門前で難産に苦しむ女性を見つけると、栴檀(せんだん)の香を焚いて加持祈祷を行い、女性は無事に出産したと伝わります。 |
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四国八十八ヶ所霊場62番札所【宝寿寺】を参拝です。 宝寿寺は、愛媛県西条市小松町新屋敷甲428にある高野山真言宗の寺院です。 宝寿寺は、寺伝によると、天平年間(西暦729〜749年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、道慈律師(どうじりっし)によって創建されたとされています。当初は「金剛宝寺」と称したと伝わります。大正10年(西暦1921年)に予讃線鉄道工事に伴い、現在地に移転しました。 |
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四国八十八ヶ所霊場63番札所【吉祥寺】を参拝です。 吉祥寺は、愛媛県西条市氷見乙1048にある真言宗東寺派の寺院です。 吉祥寺は、寺伝によると、弘仁年間(西暦810〜824年)に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられています。マリア観音像と呼ばれるイスパニア(スペイン)由来の像があるそうですが、残念ながら非公開で見れず。 |
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四国八十八ヶ所霊場64番札所【前神寺】を参拝です。 前神寺は、愛媛県西条市洲之内甲1426にある真言宗石づち派の寺院です。 前神寺は、伝承によれば、天武天皇(第40代陛下)の御代、役行者が石鎚山で修行中に、釈迦如来と阿弥陀如来が衆生を救済するために石鎚蔵王大権現として姿を現したのを感得し、その尊像を刻んで祀ったのが始まりとされています。※山号の石づち山の「づち」は、鉄の右が「夫」ですが、文字化けの原因となるので平仮名にしてあります。 |
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四国別格二十霊場12番札所【延命寺】を参拝です。 延命寺は、愛媛県四国中央市土居町土居895にある真言宗御室派の準別格本山寺院です。 延命寺は、寺伝によると、奈良時代に四国巡錫中の行基が開創したと伝えられており、その後、弘法大師・空海が「土居のいざり松」をお手植えしたと伝わります。「土居のいざり松」は昭和43年(西暦1968年)に枯死したそう。 |
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四国八十八ヶ所霊場65番札所【三角寺】を参拝です。 三角寺は、愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75にある高野山真言宗の寺院です。 三角寺は、寺伝によれば、天平年間(西暦729〜749年)に、聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が開基したとされています。弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置されたと伝わります。 |
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四国別格二十霊場13番札所【仙龍寺】を参拝です。 仙龍寺は、愛媛県四国中央市新宮町馬立1200にある真言宗大覚寺派の寺院です。 |
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四国三十六不動尊霊場26番札所【仙龍寺】を兼ねています。 仙龍寺は、寺伝によると、法道仙人による創建と伝わります。弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が訪ねて自身の姿を刻んだと伝わります。それが本尊となり、「厄除大師」または「虫除大師」と呼ばれるようになったとされます。 |
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