191.日本6周目の旅その80:四国遍路その5


 平成26年01月01日です。


 四国八十八ヶ所霊場41番札所【龍光寺】を参拝です。

 龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町大字戸雁173にある真言宗御室派の寺院です。

 龍光寺は、寺伝によると、大同02年(西暦807年)に弘法大師・空海が開基したと伝えられています。境内には山門の代わりに鳥居があり、神仏習合の文化が色濃く残っています。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれているのだとか。


 四国八十八ヶ所霊場42番札所【佛木寺】を参拝です。

 佛木寺は、愛媛県宇和島市三間町字則1683にある真言宗御室派の寺院です。

 佛木寺は、寺伝によると、大同02年(西暦807年)に弘法大師・空海が開基したと伝えられています。本尊の大日如来像は、空海の自作と伝わります。※山号の一カ山の「カ」は、「王果」が正しいのですが、文字がありませんのでこのように表記しています。


 重要伝統的建造物群保存地区【西予市宇和町卯之町】を訪ねます。

 西予市宇和町(うわちょう)卯之町(うのまち)は、愛媛県西予市宇和町卯之町にある伝統的建造物群保存地区です。

 西予市宇和町卯之町は、宇和島藩の在郷町として、また四国八十八ヶ所霊場43番札所【明石寺】の門前町として発展してきた地区です。


 四国八十八ヶ所霊場43番札所【明石寺】を参拝です。

 明石寺は、愛媛県浮穴郡久万高原町菅生1173にある天台寺門宗の寺院です。

 明石寺は、寺伝によると、欽明天皇(第29代陛下)の勅願により、円手院正澄(えんしゅいん しょうちょう)が唐からの渡来仏であった千手観音像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされています。


 日本100名城【大洲城】に訪問です。

 大洲城(おおずじょう)は、愛媛県大洲市大洲にある城跡です。

 大洲城は、南北朝時代、宇都宮豊房(うつのみや とよふさ)が築城したのが始まりとされています。文禄04年(西暦1595年)に藤堂高虎が入城すると、近代的な城郭に改修されました。まさか元旦から営業されているとは思いませんでした。


 四国別格二十霊場7番札所【出石寺】を参拝です。

 出石寺は、愛媛県大洲市長浜町豊茂乙1にある真言宗御室派の寺院です。

 出石寺は、伝承によれば、養老02年(西暦718年)に猟師が鹿を追って山に入った際、岩の中から千手観音と地蔵菩薩が現れたことで、猟師は殺生を業とする生活をやめ仏道に入り、自ら道教を名乗りこの仏像を本尊とし開創されたと伝わります。


 四国ぼけ封じ三十三観音霊場18番札所【出石寺】を兼ねています。

 出石寺は、それなりに積雪しており、ノーマルタイヤでの初詣はお勧めしないです。


 四国別格二十霊場8番札所【十夜ヶ橋】を参拝です。

 永徳寺は、愛媛県大洲市徳森1296にある高野山真言宗の寺院です。十夜ヶ橋は、愛媛県大洲市東大洲1808にある永徳寺の飛び地仏堂です。

 十夜ヶ橋は、伝説によると、弘法大師・空海が四国を巡礼中にこの地を訪れた際、宿を借りることができず、やむなく橋の下で一夜を明かしました。その一夜が、まるで十夜にも感じられたことから「十夜ヶ橋」と名付けられたと伝えられています。この伝説にちなんで、この橋の上では弘法大師に配慮して杖をつかない、というお遍路さんの風習が生まれました。


 かおり風景100選【内子町の町並と和ろうそく】&日本の道100選【八日市道路】&重要伝統的建造物群保存地区【内子町八日市護国】のトリプルポイントです。

 内子町八日市(よかいち)護国(ごこく)地区は、愛媛県喜多郡内子町にある伝統的建造物群保存地区です。内子町八日市護国地区は、江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋(もくろう/植物性の蝋)生産で栄えた地区です。

 集落の中心を南北に約600mほど走っている旧松山街道(八日市道路)が、日本の道100選【八日市道路】として選ばれており、その顕彰碑は、「桝形」と呼ばれるクランクになっている場所にありました。元旦ということもあり、観光客も少なくとても静かな町並みでした。


 四国八十八ヶ所霊場44番札所【大寶寺】を参拝です。

 大寶寺は、愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468にある真言宗豊山派の寺院です。

 大寶寺は、寺伝によると、大宝元年(西暦701年)に百済から渡来した仏僧が十一面観音像をこの山中に安置したのが始まりとされています。四国八十八ヶ所霊場のちょうど半分に当たり「中札所」とも呼ばれています。


 四国八十八ヶ所霊場45番札所【岩屋寺】を参拝です。

 岩屋寺は、愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468にある真言宗豊山派の寺院です。

 岩屋寺は。寺伝によると、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海によって開創されたと伝えられています。岩山全体を本尊とし、岩窟に不動明王の石像を、木像は堂宇に安置したと伝えられています。


 四国八十八ヶ所霊場46番札所【浄瑠璃寺】を参拝です。

 浄瑠璃寺は、愛媛県松山市浄瑠璃町282にある真言宗豊山派の寺院です。

 浄瑠璃寺は、寺伝によれば、和銅元年(西暦708年)に行基によって開かれたとされています。浄瑠璃寺の境内には、四国遍路の元祖とされる伝説の人物・衛門三郎(えもんさぶろう)の墓と伝えられる石碑があり、この伝説を今に伝えています。


 四国八十八ヶ所霊場47番札所【八坂寺】を参拝です。

 八坂寺は、愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773にある真言宗醍醐派の寺院です。

 八坂寺は、寺伝によると、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)によって開基されたと伝えられています。その後、大宝元年(西暦701年)に文武天皇(第42代陛下)の勅願を受けて伊予の国司・越智玉興(おち たまおき)が伽藍を建立しました。


 四国別格二十霊場9番札所【文殊院】を参拝です。

 文殊院は、愛媛県松山市恵原町308にある真言宗醍醐派の寺院です。

 文殊院は、四国遍路の開祖とされる衛門三郎(えもんさぶろう)の屋敷跡にあるとされています。また寺伝によると、天長元年(西暦824年)に文殊菩薩に導かれた弘法大師・空海による開基と伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場48番札所【西林寺】を参拝です。

 西林寺は、愛媛県松山市高井町1007にある真言宗豊山派の寺院です。

 西林寺は、天平13年(西暦741年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が創建したと伝わります。大同02年(西暦807年)に弘法大師・空海が旱魃で苦しむ村人を救うため、錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。それが「杖の淵」と伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場49番札所【浄土寺】を参拝です。

 浄土寺は、愛媛県松山市鷹子町1198にある真言宗豊山派の寺院です。

 浄土寺は、寺伝によると、天平勝宝年間(西暦749〜757年)に孝謙天皇(第46代陛下)の勅願寺として、恵明(みょうえ)により開創されたと伝わります。本尊の釈迦如来像は、行基が彫造したものと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場50番札所【繁多寺】を参拝です。

 繁多寺は、愛媛県松山市畑寺町32にある真言宗豊山派の寺院です。

 繁多寺は、寺伝によると、天平勝宝年間(西暦749〜757年)に孝謙天皇(第46代陛下)の勅願により、行基が薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられています。


 四国八十八ヶ所霊場51番札所【石手寺】を参拝です。

 石手寺は、愛媛県松山市石手二丁目9-21にある真言宗豊山派の寺院です。

 石手寺は、寺伝によると、衛門三郎(えもんさぶろう)が臨終の際に弘法大師・空海と出会い、来世で生まれ変わる印として「衛門三郎再来」と書かれた石を空海から渡されます。三郎は河野家当主の元に生まれ変わり、握りしめた手を開くと、その石が入っていたと伝えられています。その石を納めた寺が現在の石手寺になった、という物語が伝わります。


 石手寺は、初詣客が多く訪問する人気寺で御朱印待ちの列も行列が出来ていましたが、御朱印の書き手が若い女の子一人だったのです。

 私たちの後ろにいた少し若めのカップルが、手間取るその子に聞こえるように嫌味な愚痴を聞こえるように言っていたので、元旦早々とても残念な気持ちになりました。

 余りに不快な言葉が続くものだから、巫女さんには気にしなくて良い、ゆっくりで良いと声をかけました。バカップルには黙って並んどけや、目力を込めて伝えてあげたら沈黙してくれました。ん?立場の弱い子には文句が言えて私には言えないの?

 マナーが悪い人に注意をしたらそれでトラブルになるかもしれないから、言わないでよいって人も一定いると思いますが、見て見ぬふりをする人ばかりになってしまえば社会秩序は崩壊してしまいます。そういう場面では身体の大きな私が勇気を出して注意するってのが私のノブレス・オブリージュです。高貴ではない平民ですが。


 四国八十八ヶ所霊場52番札所【太山寺】を参拝です。

 太山寺は、愛媛県松山市太山寺町1730にある真言宗智山派の寺院です。

 大山寺は、寺伝によると、天平11年(西暦739年)に聖武天皇(45代陛下)の勅願をうけて、行基が天下泰平・国家安穏を祈願して創建されたと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場53番札所【圓明寺】を参拝です。

 圓明寺は、愛媛県松山市和気町1-182にある真言宗智山派の寺院です。

 圓明寺は、寺伝によると、天平勝宝元年(西暦749年)、聖武天皇(第45代陛下)の勅願により行基が開基したと伝えられています。当初は「海岸山円明密寺」として、現在の地より北の海岸にあったとされています。


 ネオンの反射で上手く撮れていませんが、風俗街の看板が一面に貼られている場所に出てきました。道後温泉の本館からほんの少し進んだだけで雰囲気が随分違いますね。

 今晩はお遍路さん向けのサービスプランのあったスーパーホテル松山で一泊です。

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