1213.北陸の旅その48:鳥越城に登ろう!


 令和07年09月04日11時からのスタートです。


 続・日本100名城【鳥越城】の再訪です。

 妻も続・日本100名城のスタンプラリーは完了しているのですが、鳥越城は令和04年08月の豪雨や令和6年01月の能登半島地震の影響で林道や城郭の一部が崩壊し、一時期は立入禁止になっていたため未攻城でした。


 鳥越城(とりごえじょう)は、石川県白山市三坂町にある城跡です。

 鳥越城は、加賀一向一揆の拠点として鈴木出羽守(すずきでわのかみ)が築城したとされています。


 天正08年(西暦1580年)織田信長の将・柴田勝家が落城させますが、翌年に一揆衆によって奪還されます。

 その後も一向一揆の抵抗は続きますが、天正10年(西暦1582年)03月01日、織田方の佐久間盛政(さくま もりまさ)によって再度、落城させられることになります。


 ここにあった櫓門がなくなっていますね。


 本丸跡地と堀切で隔てられた曲輪です。ここまで草刈りしてくれるなら堀切も刈りきって欲しいな。


 本丸跡から振り返った一枚です。


 やっぱり山城は良いな。しんどくない山城だとなお良いな。


 赤瀬(あかぜ)ダム管理事務所で赤瀬ダムのダムカードを頂きます。


 日本の橋100選【こおろぎ橋】を訪ねます。

 こおろぎ橋は、石川県加賀市山中温泉の大聖寺川(だいしょうじがわ)に架かる橋です。


 こおろぎ橋は、江戸時代に架橋されたのが始まりとされ、昭和16年(西暦1941年)に総檜造りの2代目・こおろぎ橋になりました。

 平成02年(西暦1990年)に2代目と同じ形で3代目に変わり、令和元年(西暦2019年)に現在の4代目が架橋されました。


 山中温泉のシンボル的存在となっています。現地近くには無料の駐車場が整備されており、観光しやすい環境が整備されていました。


 こおろぎ橋はの周辺は宿泊施設が並び、岩不動が鎮座していました。


 現地にあったご当地マンホールです。


 重要伝統的建造物群保存地区【加賀市加賀東谷】の再訪です。

 加賀市加賀東谷(かがひがしたに)地区は、石川県加賀市加賀東谷にある伝統的建造物群保存地区です。


 加賀市加賀東谷地区は、江戸時代より製炭業で栄え、明治時代から昭和時代前期までに建てられた建造物が多く残っている山村集落群です。


 荒谷、今立、大土、杉水の4集落及びこれらを結ぶ河川、旧道を含めて、保存地区に指定を受けています。単一集落ではなく、幅広く指定されるパターンは珍しいです。


 加賀市加賀東谷地区では、煙出(けむりだし)と呼ばれる室内にある囲炉裏の上部に、瓦屋根から突き出すような形で設置されている煙突が特徴です。


 大聖寺川ダム総合管理事務所に立ち寄って、九谷(くたに)ダムと我谷(わがたに)ダムのダムカードを頂きます。


 福井県に入ります。

 龍ヶ鼻・永平寺ダム統合管理事務所を訪ねて龍ヶ鼻(りゅうがはな)ダムのダムカードを頂きます。

 永平寺(えいへいじ)ダムのカードは以前、寺院の永平寺前にあるお土産屋さんで頂いていたので貰いませんでしたが、ここでも貰えるはずです。


 遅めの昼食に8番ラーメンに入ります。久しぶりに食べたな。ご馳走様です。


 かなり珍しい標識です。


 三国湊町家館に立ち寄って、坂井市の歴史まちづくりカードを頂きます。

 この歴史まちづくりカード、今年配布されたばかりですが、福井県坂井市にありながら道の駅みたいに近畿ブロックに入れられてて発見が遅れました。

 配布枚数は4,000枚と北陸並の扱いではありますが。(近畿エリアの当初の配布枚数は10,000枚)


 今回の旅路は、一泊二日850kmの行程でした。最近プリウス君の調子が悪くて、妻の車で出かけたので燃費の記録はなしです。

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