全国百選めぐり【中通島の風景】
到達記録(鯨見山と鯨供養碑) | |
![]() |
![]() |
平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。 有川港(ありかわこう)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある港です。 有川の捕鯨歴史は、慶長年間に始まったといわれ、元禄04年(西暦1691年)、江口甚左衛門(えぐち じんえもん)による有川鯨組が創業され、鯨見の番人が鯨の状況を見張る山であったのが鯨見山です。 五島列島の一つ中通島にある新上五島町に上陸しました。それだけで最高な気分です。現地は階段登りになりますが、ロケーションは非常に良いので新上五島町のお勧めポイントの一つです。 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】。 |
|
![]() |
|
到達記録(海童神社) | |
![]() |
![]() |
平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。 海童神社(かいどうじんじゃ)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある神社です。 海童神社は、小高い山に鎮座している神社で、麓の鳥居が鯨の骨で作られているのが特徴です。 海童神社のある場所は、平成14年頃までは海に囲まれた応護島(おこじま)という小島でした。有川港ターミナルが新築される際に、島の周囲が埋め立てられ陸続きになりました。 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】。 |
|
![]() |
|
到達記録(弁財天宮) | |
![]() |
![]() |
平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。 弁財天宮(べんざいてんぐう)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある神社です。 弁財天宮は、約300年前、江戸時代の初期、五島藩有川と富江藩魚目が有川湾の海境争いの際、甚左衛門が江戸公訴の道中に鎌倉弁才天に勝訴祈願をしたところ、有川側の勝訴で決着したことから、その分霊を守り神として祭った神社です。 現地を見ると有川鯨組の守り神として大切にされていることが伺えます。01月14日には「弁財天祭り」が開催され、鯨唄が奉納されるのだとか。 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】。 |
|
![]() |
|
到達記録(原眞一顕彰碑) | |
![]() |
![]() |
平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。 原眞一顕彰碑は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷714-2にある銅像です。 現地では「原氏父子の像」として顕彰されていました。原眞一さんは、東洋捕鯨(株)によりノルウェー方式捕鯨を操業した人です。 原眞一さんの息子・萬一郎さんは五島列島ではお世話になる九州商船の初代社長を務めた人です。 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】。 |
|
![]() |
|
到達記録(中通島) | |
![]() |
![]() |
平成30年05月31日〜06月01日に訪問しました。 中通島(なかどおりじま)は、長崎県の西に浮かぶ島で五島列島を構成しています。 五島列島で2番目に大きな島で一番東に位置しており、人口は約20,000人とかなりの規模がある離島です。捕鯨とカトリック教会で知られています。 若松島や頭ヶ島と橋で繋がっており、セットで見て回れます。頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)や青砂ヶ浦教会(あおさがうらきょうかい)などを中心に24の教会を見て回りました。世界文化遺産【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】の構成要件です。 離島独特の雰囲気にプラスして西洋文化が入っており楽しく観光できました。 名もなき旅人の百選【中通島の教会めぐり】。 |
|
![]() |
未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選の[前]を見る 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選の[次]を見る
[未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選]に戻る
名もなき旅人の百選の[前]を見る 名もなき旅人の百選の[次]を見る
[名もなき旅人の百選一覧]に戻る
[全国百選めぐり]に戻る
[トップページ]に戻る