464.日本7周目その59:八代城を歩こう!


 平成30年06月04日06時からスタートです。


 肥後国二宮【甲佐神社】を参拝します。

 甲佐神社(こうさじんじゃ)は、熊本県上益城郡甲佐町上揚882にある神社です。


 甲佐神社は、阿蘇四社(阿蘇神社、甲佐神社、健軍神社、郡浦神社)の一つでもあります。


 昭和の名水百選【轟水源】です。

 轟水源(とどろきすいげん)は、熊本県宇土市宮庄町にある湧水です。


 轟水源は、宇土藩初代藩主・細川行孝(ほそかわ ゆきたか)によって敷設された日本最古の上水道とされています。

 当時の送水管は、不知火岩の土管を使用していてのだとか。豊富な湧水量を誇っており、肥後国誌では、肥後国三轟水(肥後三名泉)の一つとされています。


 轟水源は現在でも近隣住民約120戸の生活用水として使用されており、周辺住民が水汲みに来ている姿が見受けられます。


 道の駅「竜北」に立ち寄ります。


 建武中興十五社【八代宮】を参拝します。

 八代宮(やつしろぐう)は、熊本県八代市松江城町7-34にある神社です。


 八代宮は、八代城趾の大書院跡に鎮座しています。

 八代宮の神門の前に夫婦松と呼ばれる二本の松があり、地元ではこの下をくぐると縁結びの祈願になるとされているそう。


 御朱印を頂いてから、続・日本100名城【八代城】を探索します。

 八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市松江城町にある城跡です。


 八代城は、加藤清正の次男・加藤忠広(かとう ただひろ)が【熊本城】の支城として築城したのが始まりです。

 一国一城令の例外として一国二城が幕府に認められた稀有な例です。

 本丸東側の枡形虎口です。石垣がしっかり残っており美しいです。


 欄干橋(らんかんばし)から見た大手門です。

 欄干橋は、本丸東側に位置しており、かつては木造の太鼓橋だったと伝わります。この橋の擬宝珠の一つには、築城当時の「元和八年二月吉日」の文字が刻まれているそうです。


 磨櫓跡の櫓台がしっかり残っており、水堀に囲まれた本丸部分は比較的良好な保存状態です。


 三階櫓跡です。

 石垣の上も歩けるようになっており、ベンチが設置されています。


 本丸北側にある廊下橋です。かつての搦手門です。

 江戸時代に入って、熊本細川藩の筆頭家老である松井氏が城代を世襲しました。


 このベンチに座るのは少々目立ちますね。このベンチがある場所が唐人櫓跡です。

 唐人櫓跡は、凄く立派な長方形の櫓台になっており、搦手門から入ると見上げる場所になります。

 国の史跡【八代城跡群 古麓城跡 麦島城跡 八代城跡】です。


 天守台跡と思いますが、入れないように制限されていました。


 道の駅「坂本」に立ち寄ります。


 道の駅「たのうら」に立ち寄ります。


 道の駅「芦北でこぽん」に立ち寄ります。


 道の駅「芦北でこぽん」では、蛸推しだったので、たこめし弁当を購入して昼食にします。

 蛸美味しいです。ご馳走様です。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【うたせ船】です。

 うたせ船は、明治の初期頃に瀬戸内海から不知火海に伝わった伝統的な漁法「打瀬網漁」に使う漁業船です。

 現地の案内板には、うたせ船は不知火海の美しいシンボルでまるで「海の貴婦人」のような優雅な姿で魅了してくれます、とありました。


 しかし、船上を楽しむには、観光うたせ船40,000円(税別)という破格の設定が明記されていました。ちょっと高すぎです。


 道の駅「みなまた」に立ち寄ります。


 購入した晩白柚サイダーと甘夏みかんサイダーです。

 糖分取りすぎな気もしますね。

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