457.日本7周目その52:中通島に上陸!その3


 平成30年06月01日10時前からスタートです。


 4つ目、青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)に立ち寄りますが、地元の方と思しき方々がお葬式をされていました。

 そんな時に写真撮影するのも気が引けるので、午後に再訪することにして県道32号線を北上します。こちらの写真は白草公園から見た矢堅目(やがため)方面の一枚です。


 こちらは、漁港の右手側に、赤ダキ断崖があります。

 赤ダキ断崖は、大規模な火山の噴出口であったことを示す地質的な場所ですが、空と海、緑が綺麗な場所です。


 5つ目、曽根教会(そねきょうかいです)です。

 曽根教会は、長崎県南松浦郡新上五島町小串郷1028にある教会です。

 ツツジが美しいですね。駐車場が坂下にあったので登っていく場面です。


 曽根教会は、明治14年(西暦1881年)の創建とのことで、明治32年(西暦1899年)に建立された2代目の教会には、鉄川与助さんが初めて教会建築に関わった教会とされています。

 現在の建物は、昭和41年(西暦1966年)に建立された3代目の教会です。

 東に有川湾、西には東シナ海を一望できる地にあり大変風光明媚な立地の教会です。


 6つ目、江袋教会(えぶくろきょうかい)です。

 江袋教会は、長崎県南松浦郡新上五島町曽根郷字浜口195-2にある教会です。

 江袋教会は、明治15年(西暦1882年)にブレル神父指揮のもと建設されたと伝わります。


 江袋教会は木造建築の教会では日本最古とされていましたが、平成19年(西暦2007年)02月に火災により焼失しています。

 翌年には明治時代当時の姿で復元再建されました。


 7つ目、赤波江教会(あかばえきょうかい)です。

 赤波江教会は、長崎県南松浦郡新上五島町立串郷字谷ノ坂子1899にある教会です。


 赤波江教会は、明治17年(西暦1884年)に建立された教会で、現在の教会は昭和46年(西暦1971年)に建立された2代目の教会です。

 急斜面にある教会で車の駐車スペースも少なかったので注意が必要です。


 赤波江教会からの展望です。

 中通島は十字架のような形をしており、特に北に向かって細長く伸びています。一般的には〇〇半島と呼ぶような地形ですが、その〇〇が案内されていませんでした。


 8つ目、米山教会(こめやまきょうかい)です。

 米山教会は、長崎県南松浦郡新上五島町津和崎郷589-14にある教会です。

 中通島の最北端に位置する教会で、明治36年(西暦1903年)当初は、山の頂上付近に建立された教会と伝わります。

 昭和52年(西暦1977年)に、信者の便宜を図って集落の中心となる現在地に移転したそう。案内板によると漁業者の信徒が多いのだとか。


 津和崎灯台(つわさきとうだい)です。

 津和崎灯台は、長崎県南松浦郡新上五島町津和崎郷にある灯台です。


 津和崎灯台は、昭和37年(西暦1962年)03月27日に初点灯されました。

 現地は、中通島の最北端に位置しています。


 津和崎灯台からは、野崎島、小値賀島、宇久島が見えます。

 写真は、昨日堪能した小値賀島です。


 9つ目、仲知教会(ちゅうちきょうかい)です。

 仲知教会は、長崎県南松浦郡新上五島町津和崎郷991にある教会です。


 仲知教会は、明治14年(西暦1881年)の創建とされ、現在の教会は3代目ということでモダンな建築物です。


 県道218号沿いで出会った「五島・平戸領境界」石碑となります。

 江戸時代に平戸藩と五島藩が境界争いをした際に、中通島の9割方を五島藩の領地とした幕府審判がありました。


 「五島・平戸領境界」石碑からのロケーションです。

 この領地を得ることは豊かな漁場を得ることを意味したんでしょうね。


 10つ目、小瀬良教会(こぜらきょうかい)です。

 小瀬良教会は、長崎県南松浦郡新上五島町立串郷1351にある教会です。

 小瀬良教会は、昭和25年(西暦1950年)の創建とされており、山城を思わせるような石垣の上に建つ教会です。


 花壇の花と海が映えますね。

 周辺地域は、国指定重要文化的景観【北魚目の文化的景観】に選定されています。


 正午を迎えたので、集落に戻って川康さんで昼食にします。


 長崎県なので、ちゃんぽんにしました。美味しかったです。ご馳走様です。


 4つ目の青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)に戻ってきました。

 青砂ヶ浦天主堂は、長崎県南松浦郡新上五島町奈摩郷1241にある教会です。

 教会と天主堂って言い方が違うのはなんでだろうと調べましたが、天主堂は、キリスト教の中でもカトリック系が使うやや文語体的な表現とされています。

 私は特に拘りはありませんので、現地で見かけた案内に従います。


 青砂ヶ浦天主堂は、明治11年(西暦1878年)に小さな集会所として建立されたと伝わります。

 現在の 青砂ヶ浦天主堂は、鉄川与助さんの作品の一つで、明治43年(西暦1910年)の完成と案内板にありました。レンガ造りが美しいです。

 恐らくここが頭ヶ島天主堂に次ぐ歴史的評価を得ている教会です。

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