455.日本7周目その50:中通島に上陸!その1


 平成30年05月31日18時前からです。


 中通島(なかどおりじま)が見えてきました。

 中通島は、長崎県の西に浮かぶ五島列島を構成する島の一つです。


 鯨のオブジェが出迎えてくれます。

 五島列島で二番目に大きな島で人口は約20,000人です。捕鯨の町、捕鯨の島として知られています。


 現在地は、こんな感じです。

 今から宿に向かって、日が暮れるまで近隣を探索したいと思います。

 明日はレンタカーで教会巡りをしようと思います。


 迎賓館ならぬ鯨賓館です。

 鯨賓館は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷578-36にある資料館・旅客ターミナル・ホールを兼ねた多目的施設です。


 新上五島町のバスです。綺麗ですね。


 上出来なご当地マンホールです。


 今晩泊まる予定の民宿有栄(ゆうえい)さんです。


 客室です。

 もちろん、お一人様で宿泊です。


 ハンガーが半端なくありますがそんなに需要あるのかな。


 一日の汗を流すと同時に体重計に。

 …サイクリングの効果が少しだけ出ているのかな?


 明日の探索の下調べも兼ねて、夕方のお散歩です。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】の構成要件の一つ【原眞一顕彰碑】です。

 原眞一顕彰碑は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷714-2にある銅像です。


 現地では「原氏父子の像」として顕彰されていました。原眞一さんは、東洋捕鯨(株)によりノルウェー方式捕鯨を操業した人です。

 原眞一さんの息子・萬一郎さんは五島列島ではお世話になる九州商船の初代社長を務めた人です。

 左の案内板の右に小さくですが、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】の案内があります。


 近くには小さな社もあります。

 右側にいる石造の人は、江口甚右衛門(えぐち じんえもん)正利翁之像と書かれています。

 当時の有川村名主・江口甚右衛門正利さんは、元禄04年(西暦1687年)に敷網掛網を用いて捕鯨する有川鯨組を創設した人です。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】の構成要件の一つ【海童神社】です。

 海童神社(かいどうじんじゃ)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある神社です。


 海童神社は、海難事故が多発したことをきっかけに、元和06年(西暦1620年)に龍神様を海童(わたつみ/わだつみ)神として祭ったことを始まりとする神社です。

 ナガスクジラの顎骨で作られた鳥居が印象的で、捕鯨で栄えた有川を象徴する建築物です。

 海童神社は、小高い山に鎮座している神社ですので、参拝は明日にします。


 有川集落の町並みです。道路が綺麗に整備されています。


 道路に描かれているのも鯨のようです。


 町の人々とはあんまり出会わないです。


 住宅街の中にコンクリートで固められた岩らしきものが。

 子供の遊び場かな。


 お地蔵さんがいらっしゃいました。


 民宿有栄さんに戻って、地元感のある夕食を頂きます。

 地元の猟師さんたちがご飯を食べに来ておられ、方言強めで話しかけられて地元話を聞けてラッキーでしたが2割位は聞き取れず。


 五島うどんが付きました。

 細麺でコシは強め、ダシには近海で獲れるトビウオが使われているのだとか。美味しかったです!

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