450.日本7周目その45:小川島に上陸!


 平成30年05月30日07時からスタートです。


 日本100名城【名護屋城】です。

 名護屋城(なごやじょう)は、佐賀県唐津市にある城跡です。


 日本を統一した豊臣秀吉が明(当時の中国)を征服するため、高麗朝鮮(当時の中国属国)に協力を求めたものの反抗された為、発生した文禄の役・慶長の役で拠点となった城です。


 豊臣秀吉が死去したことで慶長の役が終了し、名護屋城の役目も早々に終えましたが、当時で言えば大坂城に次ぐ大規模な城郭だったそうです。


 天下統一を果たした豊臣秀吉の権勢がうかがえます。

 非常に広大な縄張りで大軍を朝鮮半島に送り込む意欲が感じ取れます。


 道の駅「桃山天下市」に立ち寄ります。


 呼子港にやってきました。

 呼子港は、佐賀県唐津市呼子町にある佐賀県が管理する地方港湾です。

 呼子港は、玄界灘の漁業基地、周辺離島4島の加唐島(かからしま)、松島、馬渡島(まだらしま)、小川島(おがわしま)を結ぶ定期航路や遊覧船の拠点として利用されています。


 定期船「そよかぜ」の発着所です。

 川口汽船が小川島まで5往復(冬期平日は4往復)を運航しています。


 イカで知られた呼子の漁港、漁船が沢山です。


 そよかぜ乗船券510円です。


 20分ほど揺られて小川島に到着です。


 小川島は、人口約500人ほどの小さい島です。


 かつて江戸時代には、捕鯨で栄えた島です。

 現在もイカ、ウニ、アワビ、サザエなどの漁業中心の島です。


 田島神社に参拝です。

 田島神社は、佐賀県唐津市呼子町小川島にある神社です。

 田島神社は、島の守り神かと思いますが、鳥居が3本並んでる特徴的です。


 田島神社から丘に向かって登って行きます。

 途中、漁村らしく船玉(ふなだま)大明神が鎮座していました。船玉は、船魂や船霊とも表記されることもある海の民が航海の安全を願う神さまです。


 こちらが今回小川島に上陸した目的です。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【小川島鯨見張所】です。

 小川島は、佐賀県唐津市呼子町の北の沖合約6qに浮かぶ島です。


 小川島は、捕鯨で栄えた島で、大正時代に建てられた鯨見張所が今も保存されています。

 周辺は草ボーボーですが、鯨見張所の室内も見れます。施錠はされていたので覗き込む、というのが正確でしょうか。大分傷んでいますね。


 鯨が潮を吹くのをここから見ていたんでしょうね。

 小川島を基地とする玄界の捕鯨開始については、文禄03年(西暦1594年)に当時の唐津藩初代藩主・寺沢広高(てらざわ ひろたか)が紀州・熊野灘から漁夫を雇い、突取法による捕鯨を行なわせたのが始まりとされています。


 それなりの住宅が並んでいますが、人口は毎年減り続けているようです。

 10年ほど前には島民が約700人いたそうなので、たった10年で人口30%減は先行き不安でしょうね。


 小川港に戻ってきました。間に合いました。


 じっくり時間をかけて小川島を探索したいのですが、1日の便数が少ないので即戻りしないと今日一日が終わってしまいます。

 というわけで滞在は30分だけでしたが未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【小川島鯨見張所】の訪問は達成です(汗だく)。


 呼子港に戻ってきたので、呼子朝市を見てみましょう。

 呼子朝市は、佐賀県唐津市呼子町呼子朝市通りで行われている朝市です。元旦を除き毎日07時半から12時まで市が開かれているそうです。


 呼子朝市は、能登の輪島朝市、高山の宮川朝市と並べて日本三大朝市の一つとされています。

 ちなみに千葉の勝浦朝市も日本三大朝市とアピールされています。


 あ、もうゴールしちゃった。朝市通り自体は短いです。

 私は、かおり風景100選の【輪島の朝市】や【飛騨高山の朝市と古い町並】と100選に選定されていることもあり訪問済なので、呼子朝市を歩いたことで日本三大朝市の達成です。


 呼子朝市は江戸時代、漁師と農家が鯨肉や鮮魚、農産物をぶつぶつ交換していたことが始まりとされています。

 三大朝市に入るなら、もうちょっと盛り上がりが欲しいかな。


 呼子朝市の自販機がありました。こういう試みは良いと思います。

 呼子朝市では、欲しいと思うものがなかったので先に進みます。

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