448.日本7周目その43:角牟礼城を登ろう!


 平成30年05月29日です。


 東九州自動車道のPAよりスタートして大分県中津市にあるコインランドリーで準備を整えます。

 洗濯機300円、乾燥機200円でした。

 洗濯物を洗っている間に、近くのすき家で朝食を済ませます。


 続・日本100名城【中津城】です。

 平成29年12月29日にじっくり見ているので、今回はスタンプの押印のみです。


 そこから進路を南に取り、日本の滝100選【西椎屋の滝】です。

 西椎屋の滝(にししいやのたき)は、大分県宇佐市院内町西椎屋にある落差86mの滝です。「東椎屋の滝」、「福貴野の滝」とともに「宇佐の三滝」と言われています。

 数台が停めれる駐車場から2分ほど歩くと、ダイナミックな直瀑と出会います。残念ながらこの展望台からは滝壷までは観察できません。

 かつては滝壷まで行けましたが、本日は土砂災害の為、通行止めになっています。


 続・日本100名城【角牟礼城】の攻城です。

 角牟礼城(つのむれじょう)は、大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)にある城跡です。先日、豊後森藩資料館でスタンプを先行して回収したお城です。


 予想していたよりガッツリ車で登ってくることが出来ました。

 駐車場が石垣に囲まれた曲輪になっています。どうやら三の丸が駐車場になっています。


 天気はイマイチですが、旅の行程的にここを残すわけにはいかないので攻城開始です。


 角牟礼城は、弘安年間(西暦1278〜1288年)頃に、地元の豪族・森朝通によって築城されたと言われています。

 戦国時代には、大内氏と大友氏の勢力圏の中間点にあり、重要視された山城です。

 三の丸駐車場から素直に進むと大手門ではなく搦手門(裏口)に入ります。こちらは搦手門下の石垣です。普通に大手門に見える立派な石垣で守られています。


 こちらは石垣に守られた二の丸曲輪です。

 現地では発掘作業や復元作業が行なわれている様子です。


 現地の案内によると、こちらが二の丸曲輪にある大手門跡と思われます。櫓台跡が残っており、桝形を形成しています。

 天正14年(西暦1586年)の島津義弘による豊後侵攻の折には、大友氏側の玖珠郡衆(くすこおりしゅう)が籠城し、守りきっています。

 その歴史から、難攻不落の名城として知られています。国の史跡【角牟礼城跡】です。


 鳥居があり、足元には、角牟礼神社(つのむれじんじゃ)と案内があります。

 角牟礼神社は、大分県玖珠郡玖珠町森にある神社です。別表記として角埋神社とも表記するようです。

 角牟礼神社は、源為朝(みなもと の ためとも/鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝の叔父)を祀る神社です。


 …これは不動明王ですね。神仏混淆が残っている感じでしょうか。


 本丸跡地に到着しました。

 本丸跡地は、角理山頂上部に位置し、標高は576mで周囲には土塁で囲まれており、一部石垣で支えられています。結構広いです。


 天気が悪かったので、私以外には2組ほどしか見かけませんでしたが石垣が点在しており、かつての不落の名城っぷりが見れました。

 雨が降り出しましたので、急いで車に戻ります。


 こちらは水の手曲輪から長く東側に延びている石垣です。


 搦手門跡まで戻ってきました。

 後半急ぎ足でしたが、搦手門から二の丸下の石垣が一番の見所かな。


 大分自動車道に入って「玖珠SA」に立ち寄ります。

 道の駅だけでなくSAPAのスタンプ回収も頑張っています。


 「萩尾PA」に立ち寄ります。


 「山田SA」に立ち寄ります。


 こちらで昼食にします。

 肉ごぼう天うどん、680円です。ゴボウって身体に良さそうですよね。でもちょっと固いゴボウでした。ご馳走様です。

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