445.日本7周目その40:対馬に上陸!【前編】


 平成30年05月27日10時からスタートです。


 はい。博多港に到着です。

 博多港から厳原(いづはら)港行きのジェットフォイル乗船券を購入しました。6,330円でした。

 博多港は、壱岐・対馬航路のほか、五島列島や、志賀島(金印が発見された島)、玄界島(よく知らない島)への市内航路などの発着もしている海の玄関口です。


 こちらが今日乗るジェットフォイルのヴィーナス2です。

 ジェットフォイルってなんか半分空飛んでるみたいにして航行していますよね。なんか凄いなぁって(文系)。


 2時間と少し揺られて厳原港に上陸です。対馬上陸は2回目です。

 厳原港は、長崎県対馬市厳原町東里にある港湾で、対馬の南東側に位置しています。北東側に比田勝港(ひたかつこう)もありますが、基本的に厳原港の方が使い勝手が良いです。


 厳原港近くにあるレンタカーバジェットさんで安い車を借ります。

 全部で6,264円でした。


 美津島地区公民館に到着です。

 美津島地区公民館は、長崎県対馬市美津島町鷄知甲1287-1にある公民館です。探すときは「美津島文化会館」の方が見つけやすいかもです。

 こちらで続・日本100名城【金田城】のスタンプ押印です。


 はい。レンタカーで林道を走って続・日本100名城【金田城】の攻城口に到着です。

 他に車はなく、すれ違う車も無かったので良かったですが、林道は行き違い困難な道です。到着した先も、駐車場の整備などはまだまだの状態でした。


 金田城(かねだじょう/かなたのき)は、長崎県対馬市美津島町にある城跡です。

 金田城は、白村江(はくそんこう/はくすきのえ)の戦いに敗れた大和朝廷が、天智天皇06年(西暦667年)に対朝鮮半島の最前線に造成した古代山城で、日本書紀にもその名が残っています。


 明治時代に旧陸軍が整備した軍道が残っており、歩きやすかったです。


 現地には、復元途中の石垣が大量にあります。

 海に繋がるロケーションも上々です。対朝鮮半島を考えるなら見張り場所としてバッチリでしょうね。


 建物の設置跡のようですね。簡易ではありますが案内板も設置されています。


 大分崩れていますが、石垣がしっかり残っています。


 かなりの距離に渡って石垣が連なっていた事がわかります。

 古代山城でこの量の石垣が残っているのは極めて珍しいです。明治時代の帝国陸軍が補修したりしたんだろうか。


 金田城壁石垣の案内板があります。


 古代山城なので1,300年や1,400年前の築城のはずですが、かなりの土木技術があったように見受けられます。

 将来的に復元保存されると良いですね。


 城山山頂に近づいて来ました。


 この辺りは明治時代後半から対ロシアの為に整備された旧陸軍の防衛施設です。


 廃墟マニアが喜びそうな場所ですね。

 現地には、でかい蜂がいたのでご注意下さい。


 国指定特別史跡【金田城跡】ですの石碑発見です。

 明確なゴール地点として、こういう石碑が建っている方が私は好きです。


 元寇の時とかは、この湾内に元の船で埋まったのでしょうか。

 天気が崩れてきましたのでそろそろ撤収を開始します。


 城山砲台跡地です。


 ここには、明治時代に国産された28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)が4門(2門×2)設置されていたとか。


 こちらは、弾薬庫とかかな?

 対馬は、100年前も1,000年前も日本の防衛ラインなんだと実感出来る城跡でした。

[前の旅先]を見る [次の旅先]を見る
[旅行記5]に戻る

[旅人の記録]に戻る

[トップページ]に戻る