429.日本7周目その24:轟九十九滝を見に行こう!
平成30年05月21日です。 |
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日本の滝100選【轟九十九滝】を訪ねます。 轟九十九滝(とどろきくじゅうくたき)は、徳島県海部郡(かいふぐん)海陽町平井王余魚谷にある王余魚谷川(かれいたにがわ)を流れる滝群です。 轟九十九滝とは、王余魚谷川沿いに点在する滝の総称となり、九十九とは「多い」という意味です。 |
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駐車場から10分ほど遊歩道と轟竜瀑院竜王寺と轟神社の境内を歩き、本滝神社に到着です。 本滝神社は、轟神社の摂社で周辺は、轟神社の神域です。轟竜瀑院竜王寺と轟神社は恐らく神仏混淆時代は同一の存在だったと思われます。 |
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主瀑である轟の滝(とどろきのたき)です。別名、王餘魚滝(かれいだき)ともされています。 轟の滝は、落差58mの滝で本滝神社のご神体です。徳島県で一番の落差を誇る滝で、大迫力です。 |
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平成の名水百選【海部川】を訪ねます。 |
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海部川(かいふがわ)は、徳島県海部郡海陽町を流れる二級河川です。 |
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海部川上流部の山岳地帯は年間降雨量3,000ミリに達する全国有数の多雨地域です。 |
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残したい日本の音風景100選【室戸岬・御厨人窟の波音】です。 御厨人窟(みくろど)は、高知県室戸市室戸岬町にある海蝕洞(かいしょくどう)です。 海蝕洞は、波浪による侵食で海食崖に形成された洞窟のことで、約1,200年前、弘法大師・空海が厳しい修行をした場所と言われています。 |
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現地は、国道55号線沿いにあり、室戸岬の観光地の一部となっているので簡単に発見できるかと思います。 以前来た時は洞窟の中まで入れた記憶があるのですが、今は崩落の危険があるとの事で内覧は出来ませんでした。 |
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室戸岬にある中岡慎太郎像です。 中岡慎太郎は、幕末の志士で、坂本龍馬と共に近江屋で襲撃され殺害された人です。 |
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日本の灯台50選【室戸岬灯台】&恋人の聖地【室戸岬】です。 室戸岬灯台(むろとざきとうだい)は、高知県室戸市室戸岬町の室戸岬の高台に建つ灯台です。 |
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室戸岬灯台の初点灯は明治32年(西暦1899年)04月01日です。光達距離26.5海里(約49km)は日本一。太平洋を望む風光明媚な場所です。 大東亜戦争末期、米軍の機銃掃射を受けて、レンズが破損、現在も4箇所銃跡が残っているのだとか。現役の鉄造灯台としては【姫埼灯台】に次いで、日本で2番目に古い灯台です。 |
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室戸岬灯台の周辺には、四国八十八ヶ所霊場24番札所【最御崎寺】があります。 最御崎寺(ほつみさきじ)は、高知県室戸市室戸岬町4058-1にある真言宗豊山派の寺院です。普通に読んだら「ほつみさきじ」とは読めないですね。 |
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最御崎寺は、寺伝によると、大同02年(西暦807年)に唐への留学を終えた弘法大師・空海が、嵯峨天皇(第52代陛下)の勅願を受けて開創したと伝わります。 26番札所・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれています。今日もお遍路さんが参拝されていました。 |
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ここから、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【室戸捕鯨関連文化遺産】を探してぐるぐる開始します。 室津港(むろつこう)です。 室津港は、高知県室戸市室津にある港で、江戸時代に土佐藩の家老・野中兼山(のなか けんざん)により殖産興業のために整備されました。 室津港は、荒磯を掘り込んで造った港とされており、昭和の中頃には、遠洋マグロ基地として賑わったと伝わります。大分近代化改修されているように見えます。 |
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津呂(つろ)王子宮(おうじぐう)です。 津呂王子宮は、高知県室戸市室戸岬町4798にある神社です。 津呂王子宮は、津呂の町の氏神で、港とともに開けてきた漁師町らしく狭い路地の中に鎮座している神社です。 鳥居の裏手に津呂漁業協同組合や津呂遠洋漁業松々主組合の文字が見てとれました。 |
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お参りして行きます。 鳥居の裏手に津呂漁業協同組合や津呂遠洋漁業松々主組合の文字が見てとれました。 |
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津呂港(つろこう)は、高知県室戸市室戸岬町にある港で、室津港同様に江戸時代に土佐藩の家老・野中兼山によって整備されました。 津呂港は、室津岬港と呼ばれることが一般的なようです。現地では、掘り込み港であることがよくわかります。かなり掘り込んでいるので住宅街と水面にかなりの差があります。 |
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浮津(うきつ)八王子宮は、高知県室戸市浮津二番町66にある神社です。 浮津八王子宮の秋祭では、古式捕鯨時代の往時を偲ぶ「鯨舟唄」を歌います。現地には、捕鯨出漁記念の文字が見てとれる石碑がありました。 |
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こちらも参拝していきますが、御朱印は頂けそうにないですね。 |
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道の駅「大山」から見た伊尾木漁港(いおきぎょこう)です。 伊尾木漁港(いおきぎょこう)は、高知県安芸市下山にある漁港です。 伊尾木漁港は、土佐藩の家老・野中兼山(のなか けんざん)が築造した港で、江戸時代の終わり漁港整備にと内港の開削を進め、石組みの防波堤の建設に取り掛かりましたが、藩の財政難から工事は中断しました。 そこでついた呼び名が「兼山のあほう堀」。結構、辛辣です。 |
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未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【伊尾木漁港石積堤】と恋人の聖地【大山岬/太平洋を望む伊尾木漁港石積堤】に選ばれています。 |
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恋人の聖地に選ばれた理由はわかりませんが「兼山のあほう堀」と呼ばれた掘り込み港が「漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれているということは漁民には感謝されているということでしょうか。 野中兼山さんも草葉の陰で泣いていることでしょう。野中兼山さんは、大規模な改革や工事を実施して、過酷な負担を領民や藩士に強いたことから失脚して、男系が絶えるまで家族全員が40年に渡って幽閉されたそう。 |
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追加された重要伝統的建造物群保存地区【高知県安芸市土居廓中】の攻略に向かいます。 野良時計を目印にした観光者向けの駐車場にプリウス君を停めて歩きます。 |
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土居廓中(どいかちゅう)地区は、高知県安芸市土居廓中にある発展した武家屋敷を中心とした伝統的建造物郡保存地区です。 |
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安芸城は、戦国時代、安芸氏の居城となり、長宗我部氏を経て、江戸時代は山内氏の重臣・五藤為重(ごとう ためしげ)が入城します。 一国一城令に対して城ではなく「土居」と称しました。地名にもなっています。 |
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土居廓中の町割や道路の形状は、江戸末期から昭和戦前期に建てられた建物の他、武家町特有の歴史的風致が良好に残っています。 車を停めれる駐車場から現地までちょっと距離があります。 |
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昼食に見かけたラーメン屋「しなとら」さんに立ち寄ります。 |
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一番スタンダードなラーメンを注文しました。ご馳走様です。 |
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