420.日本7周目その15:友ヶ島に上陸!【後編】


 平成30年05月18日です。


 池尻キャンプ場です。

 奥に見える池は蛇ヶ池(じゃがいけ)です。かつてこの池に大蛇が住んでいたというのが由来だとか。

 ヒトモトススキやテツホシダなどの湿地性の植物が群生していると案内がありますが、私には植物の見分けが付かないのでスルーします。


 孝助松(こうすけまつ)海岸です。

 海水浴には少し小さい海岸です。キャンプ場利用者か釣り人が楽しむ場所でしょうか。

 今日は、午後の便なく、明日の迎えの船もない可能性が高いのでキャンプ客は来れないはずです。


 孝助松海岸は、船が難破した時に孝行者だけが松に引っかかって助かったという由来だとか。

 普段、孝行者をしていてもいざという時、本性が出て仲間を見捨てて自分だけ助かったという悪い人を想像してしまった私は、大分心が病んでいるのではないかと思います。


 条約灯台13基【友ヶ島灯台】の看板を発見。


 友ヶ島灯台(ともがしまとうだい)は、和歌山県和歌山市加太沖の友ヶ島の沖ノ島に建つ灯台です。


 友ヶ島灯台は、明治05年(西暦1872年)に日本で8番目の西洋式灯台として初点灯されました。

 イギリスが派遣してくれたリチャード・ヘンリー・ブラントンさんの設計で、大坂条約によって建設された5基の洋式灯台の一つです。但し給料は明治政府持ちです。


 明治23年(西暦1890年)に、由良要塞(ゆらようさい)第一砲台建設のため、東に25m移設されました。


 友ヶ島灯台は、経済産業省の「近代化産業遺産」、文化庁の「登録有形文化財」となっています。なお、現役で活躍中の灯台です。


 ここは第1砲台跡地です。

 第1砲台跡地は、友ヶ島(沖ノ島)の西端に位置しています。


 左に並んでいるのは弾薬庫かな。


 一部フェンスで通行止めになっていました。


 ぐるっと迂回すればもう少し奥まで見学できそうでしたが、もう11時。11時20分には戻るように言われていたので次の第二砲台跡地に向かいます。


 第1砲台跡地から5分ほどで第2砲台跡地に到着です。


 こちらは明らかに破壊された跡があり、入ったらダメの看板がありました。


 柵が巡らされているのでそこから撮影しました。


 破壊されていなければ素晴らしい遺跡になっただろうに。

 風雨による浸食と案内されていますが、80年足らずの間に風雨だけでここまで崩壊するのだろうか。


 解説によると、砲身が露出する箇所以外は、厚さ2mのコンクリート壁で覆われていたそう。

 コンクリート幅2mあるかな…1mから1.5mほどに見えるけど…。


 こちらの砲台群は実戦を経ずにその役目を終えたので、外地に赴いた将兵を思えば…帝国陸軍の中ではかなり恵まれた環境にあったと思われます。

 由良要塞は、1〜2年の任期で中将や少将、たまに大佐が要塞司令官となっており、最大600人規模の駐屯だったと

 瀬戸内海を睨む砲台跡地です。


 きっと当時の日本の船はこの砲台を見ることで安心して航行できたんでしょうね。


 夏休みだけ営業するのかな?


 こちらの民家は崩壊していますね。


 何とか雨を降らさずにいてくれてありがとう。


 野奈浦(のなうら)桟橋が見えます。

 どうやら迎えの船がもう来ているようですね。


 こういう松の木が、孝助松になったんだろうか。


 小さなお社さんが鎮座しています。


 それではバイバイ友ヶ島。素晴らしい島でした。

 ぐるっと歩けていい運動になりました。

 今回の旅路では、しっかりダイエットにも挑戦しつつ、縄文杉に挑戦できる体力を付けるという目標があります。


 往路よりも復路の方が揺れましたが、私も随分と船に慣れたので内海ではもう酔わなくなりました。

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