402.三井寺に散歩に行こう!


 平成30年05月04日です。


 園城寺(おんじょうじ)を参拝します。

 園城寺は、滋賀県大津市園城寺町246にある天台寺門宗の総本山寺院です。

 こちらは国の重要文化財【園城寺大門(仁王門)】です。


 こちらは国の重要文化財【園城寺食堂(釈迦堂)】です。

 園城寺は、通称三井寺(みいでら)として知られており、境内に湧く3つの霊泉(井戸)が、天智・天武・持統の3人の天皇の産湯に用いられたと伝えられ御井(みい)と称されたことが由来だとか。


 こちらは国の重要文化財【園城寺鐘楼】と三井の晩鐘です。

 以前は、日本の音風景100選【三井の晩鐘】の攻略で訪問しています。


 国宝【園城寺金堂】です。前回は、神仏霊場147番札所【園城寺・金堂】として参拝していますね。

 金堂では「あお若葉の競演」とされる期間限定の特別公開や新羅明神の御朱印がありました。

 シーズンに合わせて目玉を用意するなんて商売上手な一面を感じます。折角なので一筆購入していこうかな。


 こちらは国の重要文化財【園城寺一切経蔵(経堂)】です。

 一切経蔵(いっさいきょうぞう)は、一切経を安置するための堂です。慶長07年(西暦1602年)に毛利輝元によって山口市内にあった禅宗寺院・国清寺から移築されたものです。


 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵(はっかくりんぞう)があります。  一切経とは、経蔵(きょうぞう)、律蔵(りつぞう)、論蔵(ろんぞう)の三蔵及びその注釈書を含めた仏教聖典の総称です。ようするに仏教の経典の収納箱です。(但し、私の理解)


 こちらは国の重要文化財【園城寺塔婆(三重塔)】です。


 唐院の手前に石段です。石段の脇には歴代の探題によって奉納された石造灯篭が並んでおり、「唐院探題灯篭」と案内されています。


 こちらは国の重要文化財【園城寺唐院潅頂堂】です。


 微妙寺です。

 以前は、湖国十一面観音霊場1番札所【園城寺別所・微妙寺】として参拝しにきました。今回は日本三大不動尊【園城寺・黄不動】の御朱印を頂戴しました。

 早朝訪問ですがじっくり見てたのでここいらで遠方からの観光客に追いつかれ始めました。


 紅葉の時期も良いけど、若葉の時期も好きなんですよね。


 こちらが一番上にある観音堂です。

 前回はと近江三十三観音霊場5番札所【園城寺・観音堂】として、その前は西国三十三所観音霊場14番札所【園城寺・観音堂】として参拝している記録が残っています。

 観音堂は、貞享03年(西暦1686年)に火災にあい、元禄02年(西暦1689年)に再建されました。なので園城寺の中では若いお堂です。


 観音堂から見た展望です。今日も琵琶湖は綺麗だ。


 水観寺です。

 以前は西国四十九薬師霊場48番札所【園城寺別所・水観寺】として参拝しています。


 こちらが今回頂いた御朱印です。黄不動尊と新羅明神の御朱印です。


 園城寺を後にして東へ向かい、日本の道100選【湖岸道路】の顕彰碑探しです。

 膳所城跡の駐車場に車を停めて探索です。


 日本の道100選は、国土交通省(当時は建設省)がバックアップしての選定でしたが、どう考えてもこの顕彰碑に辿り着くまでの歩道がないと思うのです。交通量の多い場所なので、良くないと思うのです。


 続けて日本の道100選【瀬田の唐橋】です。

 瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市を流れる瀬田川(せたがわ)に架かる橋です。

 瀬田の唐橋は、都である京都の東の玄関口として、交通の要衝かつ京都防衛上の重要地で、古来「唐橋を制する者は天下を制す」と言われました。武田信玄は「瀬田に(武田の)旗を立てよ」と言い残したとか。


 前回訪問時は改装工事中だったので再訪ですが、随分、綺麗に整備されています。

 こちらには、百足退治伝説があります。

 近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった藤原秀郷(俵藤太)は臆することなく大蛇を踏みつけて渡った。その大蛇は琵琶湖に住む龍神の一族の娘が姿を変えたものだった。

 娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤原秀郷を見込んで百足退治を懇願し、色々ありながらも藤原秀郷は見事、百足を退治してめでたしめでたし、というお話です。

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