380.四国遠征その12:阿波井神社に参拝しよう!


 平成29年10月11日です。

 中国道の駅スタンプラリーを完結させようと意気揚々と西進を開始したものの中国道をスルーしてしまい、気がつけば名神の終点に到着していました。やってしまった。


 進路を変更して神戸淡路鳴門自動車道に入って淡路SAで遅めの朝食にします。


 「淡路玉葱チャーシュー」を注文です。

 チャーシューの下には玉葱が沢山入っていました。さっぱりしていて思っていたより美味しかったけど、その後、腹痛を起こしたのは何故だ。ご馳走様です。


 橋は、明石海峡大橋というのに、高速道路の名称は、何故か明石淡路鳴門自動車道ではなく神戸淡路鳴門自動車道なんですよね。

 これは調べてみると、神戸市にある山陽自動車道「神戸西IC」を起点としているからみたいです。正しいかはわかりません。単純に神戸市>明石市のネームバリューがそうさせたのかもしれません。


 下道に入って淡路国二宮【大和大国魂神社】を参拝です。

 大和大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)は、兵庫県南あわじ市榎列上幡多857にある神社です。


 日本遺産【国生みの島・淡路】の立派な案内板がありました。

 全部で31箇所か。一度、巡ってみても良さそうだ。


 宮司さんどころか誰とも出会わず、静かに参拝です。


 大きな鳥居にひかれて自凝島神社(おのころじまじんじゃ)を参拝です。

 自凝島神社は、兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)下幡多415にある神社です。


 自凝島神社は、日本の「国生み神話」に登場する、イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初に降り立ち、国土創世の舞台となったとされる伝説の島「おのころ島」の伝承地の一つに建てられています。

 高さ21.7mの鳥居は、平安神宮、厳島神社と並べて日本三大鳥居(他説多数)とされています。


 御朱印も頂戴しておきます。


 ここにも日本遺産【国生みの島・淡路】の案内板がありました。


 南下して平成25年に追加された新しい道の駅「福良」に到着です。

 うずしおクルーズの発着地になっている既存施設を道の駅に追加認定した感じでしょうか。


 鳴門海峡を越えて四国入りします。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【堂浦のテグスといやしの杜、阿波井神社】を探しますがどうやっても陸路では辿り着けませんでした。

 対岸に移って、海岸線を見ていると、阿波井神社の幟を発見です。


 鳴門シーガル病院行きの船着場がありました。

 鳴門シーガル病院は、精神科を中心にした病院のようです。船でしかいけない病院です。


 船着場の方に、病院ではなく、阿波井神社に参拝したい旨を伝えても問題なく船に乗せてもらえました。

 こちらの船は、無料で運行している船で、船頭さんが言うには、病院の受付でカードを貰ってくれば帰りも送ってもらえるとのことでした。


 数分で上陸出来ます。

 船に同乗していたのも病院に向かう様子のお見舞い客らしき女性が一人いただけで、観光に来る人は少ないようです。海岸沿いに少し歩くと鳥居が見えてきます。


 対岸からも印象的だった海に浮かぶ灯篭です。


 阿波井神社(あわいじんじゃ)です。

 阿波井神社は、徳島県鳴門市瀬戸町堂浦字阿波井56にある神社です。


 しばらく人の手が入っていない様子が窺えます。

 野鳥の声が大変にぎやかなのが印象的です。


 カニさんを発見です。

 ついつい撮影しようと近づくと階段端に追い詰めてしまう結果になってしまった。彼にとって私は進撃の巨人のように映っているのだろう。食べようとは思わないが、立派なハサミで威嚇されてしまった。怖がらせて、すまんな。


 階段の上に拝殿です。

 阿波井神社に参拝して、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【堂浦のテグスといやしの杜、阿波井神社】達成です。


 病院前の船着場に戻ります。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選は、一つ一つがとてもハードルが高く、攻略難易度は抜群に高いです。未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選を選定された先生方は、100選総てに訪問したのか問い詰めてやりたい位の高難易度です。


 新・日本街路樹100景【ワシントンヤシ並木】を訪ねます。

 ワシントンヤシ並木は、徳島県徳島市のJR徳島駅前にあります。

 ワシントンヤシ並木は、昭和28年(西暦1953年)に開かれた第8回の国民体育大会(国体)に合わせて植えられたと言われています。


 日本100名城【徳島城】の再訪です。

 徳島城(とくしまじょう)は、徳島県徳島市徳島町にある城跡です。


 「城山の貝塚」と名付けられたここは、縄文時代から弥生時代のゴミ捨て場です。

 縄文土器や弥生土器の破片が多数発掘されているのだとか。ゴミ捨て場にされた場所にお城建てたんだね。


 徳島城は、天正13年(西暦1585年)、豊臣秀吉による四国征伐で功績のあった蜂須賀家政(はちすか いえまさ)が阿波国一国を与えられ、築城しました。

 日本の都市公園100選【徳島中央公園】にも選ばれています。日本の都市公園100選のうち、10選くらいが日本100名城と重複しています。


 徳島城の内堀です。堀川と呼ばれています。

 天守が、一番高い本丸ではなく、東の二の丸に造られていた点が印象的です。昭和20年(西暦1945年)の徳島大空襲で建築物関係は焼失しており、石垣や曲輪跡などが遺構として残っています。

 また平成元年(西暦1989年)には、かつての城門であった鷲の門(わしのもん)が復元されています。


 駐車場が城郭跡地の背中側にある為、ぐるっと周って正面「鷲の門」に到着です。


 日本の道100選【吉野川バイパス】です。

 吉野川バイパスは、徳島県徳島市かちどき橋一丁目から徳島県鳴門市北灘町櫛木に至る道路です。

 吉野川バイパスは、約16.9kmのバイパス道路ですが、日本の道100選【吉野川バイパス】としての認定は、徳島市吉野町〜徳島市川内町の約4.0kmの区間です。


 徳島自動車道に乗って上坂SAで遅めの昼食にします。


 徳島ラーメンの定食にします。ご馳走様です。

 その後、徳島道、高知道のSAPAのスタンプを回収しながら、高知市内のホテルに入ります。

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