374.東北遠征その2:鶴ヶ城に登ろう!
平成29年08月14日です。 |
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最近できた道の駅「燕三条地場産センター」です。 |
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道の駅「庭園の郷 保内」です。 新しい道の駅は続々と出てきますので、本当にもぐら叩き状態です。 |
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磐越自動車道に乗ってSAPAスタンプラリーをします。 「阿賀野川SA」で朝食です。 |
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朝カレーを頂きます。 辛かった。思ってた以上に辛かった。ご馳走様です。 |
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日本100名城【会津若松城】に到着です。 会津若松城(あいづわかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にある城跡です。 |
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会津若松城は、南北朝時代に蘆名氏7代目当主・蘆名直盛(あしな なおもり)が居を構えたのが始まりとされています。 その後、伊達政宗を経て、蒲生氏郷が城郭を整備し、地名を「黒川」から「若松」と改名しました。 |
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城内に稲荷神社が鎮座しています。 鶴ヶ城稲荷神社は、福島県会津若松市追手町1-1(鶴ヶ城城内)にある神社です。 |
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折角なので参拝していきます。 鶴ヶ城稲荷神社は、鶴ヶ城(黒川城)とともに歴史を重ねてきた神社で築城の際の伝説も残っていました。 |
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どうやら人の多い時限定で出張しているようで御朱印も頂けました。 |
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会津若松城は、江戸時代初期に、保科氏(後に松平性に改め、会津松平氏)が入り、明治維新を迎えました。 戊辰戦争(会津戦争)では新政府軍の攻撃に約一ヶ月間、持ち応えました。 |
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天守からの展望です。 天守はコンクリート造の再現天守ですが、土台の石垣は蒲生時代の石垣とされています。内堀や石垣はしっかり残っており、V字型の武者走りは特徴的です。 |
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先ほどの鶴ヶ城稲荷神社が見下ろせます。 |
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随分可愛くデフォルメされていますが白虎隊でしょうか。 |
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現地では鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれていますが、同名の城郭が多数ある為、全国的には会津若松城とされています。 国の史跡【若松城跡】に指定されています。 |
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出口から見た鶴ヶ城が一番迫力ありますね。 |
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新しい道の駅「あいづ湯川・会津坂下」です。 |
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磐越自動車道「磐梯山SA」です。 道の駅、SAPAを辿りながら東に進みます。 |
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新しい道の駅「猪苗代」です。 |
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