338.近畿の札所めぐりその50/京都十二薬師霊場・満願
平成29年01月18日です。 |
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京都十二薬師霊場9番札所【不来乎薬師(こぬかやくし)】を参拝です。 薬師院は、京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694にある黄檗宗の寺院です。 |
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薬師院は、寺伝によると、寛喜02年(西暦1230年)に疫病が全国に広がった時、住職の夢に薬師如来が現れて「一切病苦の衆生、我が前に来たらば諸病ことごとく除くべきに、来ぬか、来ぬか」とのお告があり、皆病気治癒したので、「こぬか薬師」呼ぶようになったと伝わります。 |
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京都七福神【寿老神】を参拝です。 行願寺(ぎょうがんじ)は、京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17にある天台宗の寺院です。 |
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行願寺は、通称、革堂(こうどう)として知られています。創建当時は一条通りにありましたが、火災や戦乱で度々焼失し、場所を移しながら再建されてきました。現在の場所に落ち着いたのは江戸時代のことです。 |
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京都七福神【恵比須】を参拝です。 常施無畏寺(じょうせむいじ)は、京都市上京区荒神口通寺町東入ル荒神町122にある天台宗の寺院です。 |
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常施無畏寺は、伝承によると、平安時代中期に、宇多天皇の勅願により静観(じょうかん)によって創建されたと伝えられています。通称・清荒神(きよしこうじん)として知られています。 昭和30〜40年頃、遣迎院が北区に移転され、基本非公開の寺院になり、御朱印をされなくなったとのことで、【恵比須】担当の清荒神さんが【福禄寿】も兼務されています。 |
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京都七福神【弁財天】を参拝です。 妙音堂(みょうおんどう)は、京都市上京区桝形通出町東入青龍町266-3にある臨済宗相国寺派大本山相国寺の飛び地塔頭寺院です。 |
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妙音堂は、地元の人々からは親しみを込めて「出町の弁天さん」と呼ばれています。明治時代に一度東京へ移されますが、地元の強い要望により、明治34年(西暦1901年)に現在の場所に戻されました。 京都で一番キツイ御神籤ということで先客は肩を落として帰ったのに、妻は引いておりました。 |
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京都七福神【大黒天】を参拝です。 妙円寺(みょうえんじ)は、京都市左京区松ヶ崎東町31にある日蓮宗の寺院です。 |
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妙円寺は、元和02年(西暦1616年)に、日蓮宗の僧・日英(にちえい)によって開かれました。通称・松ヶ崎大黒天で知られています。背後にある松ヶ崎東山では五山送り火の際に松ケ崎妙法のうち「法」の字が焚かれます。 こちらで京都七福神、満願です。大福寺さんでの京都七福神マップを手に入れてから一気に進みました。 |
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京都の繁華街まで来ました。 |
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京都十二薬師霊場12番札所【蛸薬師(たこやくし)】を参拝です。 永福寺(えいふくじ)は、京都市中京区新京極蛸薬師東側町503にある浄土宗西山深草派の寺院です。 永福寺は、寺伝によると、養和元年(西暦1181年)の建立と伝わります。通称・蛸薬師です。天正18年(西暦1590年)に豊臣秀吉の方針で現在地に移転すると、蛸薬師を参拝する東西の参道を蛸薬師通と呼ぶようになりました。 |
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京都十二薬師霊場11番札所【寅薬師(とらやくし)】を参拝です。 西光寺は、京都市中京区新京極蛸薬師上ル中筋町495−1にある浄土宗西山深草派の寺院です。 |
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西光寺は、弘法大師・空海が薬師如来像を一刀三礼で彫り、寅の日の寅の刻に完成したことから寅薬師と呼ばれ、寅年生まれの守護仏として信仰を集めています。 |
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京都十二薬師霊場も満願です。十二札所の小さめの霊場ですが、先達制度もあるのだとか。 これで2人で始めた札所巡りは殆ど、終わりました。妻の病気が治りますように。ありがとう。 |
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