163.九州遠征その3:対馬に上陸!【前編】


 平成24年05月31日です。

 午前2時25分に壱岐芦辺港(あしべこう)から乗船、午前4時40分に対馬厳原港(いづはらこう

 港では、警察官がナンバーチェックしていました。さすが国境の島ですね。

 朝早くて飲食店もオープンしてないので、午前の間に南対馬を一周しようと計画を練ります。


写真は、対馬にしかない石屋根の高床式倉庫です。こちらは対馬空港近くにありました。

 しかし私は、厳原港とは逆サイドにある椎根(しいね)の石屋根を見てみたいと思っています。車を南に進めます。


 金田城(かねだじょう/かねたのき)は、飛鳥時代に対馬国に築かれた古代山城です。

 国の特別史跡となっています。朝鮮半島からの侵略に対する最前線の基地でした。

 路上、何頭かのツシマジカと出会いました。なかなか動いてくれないなぁと思ったら、足を怪我している様子でした。


 対馬は南北に82q、東西に18qと細長く、壱岐を走った後だと、かなり大きく感じました。

 道も大半が山道でカーブが多かったです。

 さて、対馬南西にある椎根の石屋根に到着しました。

 石屋根って重々しいけど、ネットで調べてみると瓦より軽いのだとか。なんか意外!防火機能は高そうですよね。


 南対馬を一周してお船江跡(おふなえあと)に到着です。

 お船江跡は対馬藩の時代に藩船が係留されていた場所です。4列の石積みの突堤が残っており寛文03年(西暦1663年)の造成と解説がありました。


 対馬藩は江戸時代の鎖国下にあった時代も日朝外交史上大きな役割を果たしました。


 続けて厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)に参拝しました。神社にしては珍しい有料駐車場でした。

 厳原八幡宮神社は、長崎県対馬市厳原町中村に鎮座する神社です。正式な社名は八幡宮神社で、旧社格は県社です。

 明治04年から明治23年までの間、和多都美神社に改称し対馬一宮を名乗っていました。静かで緑豊かな空間が広がっていました。宮司さんはいらっしゃいませんでした。

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